まずは、軽めの妄想からいきましょうか。
ネタバレがあります。
映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。
あくまでも、私個人が、「劇場版」と「テレビシリーズ」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。
【ほら、「物」大好き人間だから】
まあ、いろいろと「合わないなー」「おかしいなー」と思うことはあるんです。
でもね、そもそも、あの時代設定なのに「あの義手」が存在している世界なので、合理的なこと考えても意味がないのですよね。
お話を楽しむことを優先に考えて、「我々の暮らす世界に近い、別の世界」と割り切るのがよいと思います。
そうは思うのですけれど、中途半端に小物類が我々の使っている物と似ているのが、心の平静をかき乱すんですよね…。「黒電話」とか、私も使っていた世代ですから。
あと、デイジーがヴァイオレットの足取りを追ってライデンを訪れた時の風景の中の車が、どう見てもマスタングとか2CV(他もフランス車っぽいのが見えますよね)というのが、引っかかるのです。「見た目、もうちょっと変えよう?」とかね。
【「少佐の犬」……。】
エンドロール後の、本当の最後のシーン。
CH郵便社でのヴァイオレットの部屋、机の上に置いてあった犬の玩具が、ヴァイオレットのトランクの上に置いてあったということは、「抱えていた仕事を全部済ませて、エカルテ島に渡って」来た直後ということでしょう。
そして、ベッドに腰掛けてギルベルトと指切りをしている時に上着を着ていないのは、単に外出着を脱いだという訳ではなく、それまでのある意味「武装していた」時とは異なり、素の状態(=求めていたゴールに辿り着いた)になったということを表現しているのでしょう。
あの上着はある種、軍装に似たデザインだったので、拡大解釈するのならば、「ホッジンズたちが、ヴァイオレットを守るための装束として見立てて、着させたもの」だし、「ある意味、自分を探す任務中だった」ことの印なのかもしれません。
物語自体の初めの頃、ギルベルト少佐に引き取られた時の装束にある意味戻ったと考えても良いのかもしれませんね。
【ベタな比喩もあるのかも】
校内で少佐の姿を探すヴァイオレット。
その時、ギルベルトは葡萄畑で収穫の手伝いをしているので、見つけることは出来ません。
ホッジンズが聞き出してきたギルベルトの家を訪ねることになります。
ギルベルトは、焚き火に掛けられた煮え立つ鍋の前で、外にはヴァイオレットが立っているドアに背を向けて佇んでいます。この鍋とその後の燃え立つ炎は、穏やかではないギルベルトの心の比喩でしょう。
こういう、ベタな比喩表現も織り込んでいるのですね。
見る限り、少なくとも、もう一カ所ベタな比喩があったと思います。
見た瞬間は覚えているのですが、次々に感情が押し寄せるので、覚えていられないのですが。