【1】実は…。
小~中学生の頃、結構「SF小説」を読んでました。
もっとも、SFの中でも「スペースオペラ」と言われるジャンルばかりで、その中でもやや古めの作品を好んでましたけれど。
スペースオペラというのは、例えるならば「西部劇を、宇宙空間とかでやってる」ような感じで、空想科学バリバリのお話世界です。読んでいて直感的に楽しめるものが多いのです。
それに対して「ハードSF」というジャンルもあり、こちらは科学的背景をガチガチに固めてある、いわば理論書とストーリーの融合みたいな世界です。「なるほど~!」を楽しむ感じ。
文系人間である当方としては、ある程度までなら理論の世界についていけるのですが、臨界点を越えると「面倒くさー」となってしまう、厄介なジャンルです。
こちらの到達点は今のところ、ロバート・L・フォワードの「竜の卵」ですね。ファンタジーっぽい書名ですけれど、本物の理論物理学者が書いたガチな本なのです。あまりの奇想天外さながら、背後にある緻密な理論に「あり得るかも」と信じうる、凄いお話です。今となっては、やや古くなりつつあるかもしれませんが、面白さは色褪せません。おすすめ。
そんな「微妙なレベルのSF愛好者」からすると、『HELLO WORLD』はどうだったか」というのが今回の記事です。
【2】とりあえず、あらすじ
まずは、あらすじをば。
「舞台は、少し未来の京都。主人公は読書が好きな、少々内気な男子高校生。
至極普通に『自分は、今、現実の世界を生きている』と思っていたけれど、実は『記録の中の世界』での記録であることを、未来から来たという自分自身(←ただし仮想のアバター的な存在)に突きつけられる。
突然思いもしなかった状況に追い込まれた主人公が、半ば強制された初恋の人を喪失から守るために闘う物語」というのがざっくりとしたあらすじです。
しかし、最後に大きなどんでん返しが仕組まれていて、意外な人の精一杯の努力の結果、主人公が二重(三重?)に救われるのが、ミソです。
もっとも、そのどんでん返しのおかげで更に並行世界っぽくなって、最終的に話がますます分かりづらくなりますけど。
【3】直接の理由と第一印象と
実は「堀口さんのキャラは、やっぱかわいいよね」という理由で見に来たのですが、見てみた感想としては「重かった…」って感じです。
いやいや、「内容が」ということではなく「気軽に観るには」ということです。
確かに絵は好み。
キャラも背景も、パキッとしていて、個人的にはとても良い感じ。
ありがちといえばありがちな設定とか物語っぽいけど、まあ、美術的な作り込みが結構行き届いているので、作品全体としては個人的に受け入れられる範囲内。まあ、背景に登場するトヨタ車「ist(イスト)」の多さには、苦笑しますけど。(^^;)
でも、目まぐるしい展開とアクション、それにお話的に「うーむ」と思ってしまうと、見終わってスッキリとは言えず、「重かった」と思ってしまうと。
例えて言うなら、「楽に食べられると思っていたのが、意外と味が濃い目で油っ気も多くて、食後に胃が重くなった」というところでしょうか。
もっとも、この重さは「天気の子」を観た後の精神的な重さとは違い、単純に「しんどいわー」という感じです。あくまでも、「情報処理に追われて、疲れた」って感じかな。
【4】とはいえ、言いたい。
上で「作品全体としては個人的に受け入れられる範囲内」と書きました。
それは私が「細かいことを詮索しても、無駄」という悟りを開いたからかもしれません。
「面白ければ、何でもあり」という、作る側の論理を学んだから。
細かな作り込み・積み重ね・破綻の無い構成……等々は、そうであるに越したことはないけれど、「実際に面白いのならば、必ず要るものではない」のですよね。
でも、悟りを開いたとは言え、やっぱり言いたいことはあります。
まずは、一般のお客さんだと、ちょっと「?」と思うところは多いかもしれません。
「一般の」というと語弊があるかもしれませんが、要は「SF的なことに多少なりとも興味・関心・理解がある人、以外」って意味です。
「現実の世界を生きていると思っていたが、実は『記録の中の世界』での記録であること」を受け入れられないと話についていけません。そこら辺で、先に書いた「SFあるいはSFっぽいものに触れた人じゃないと」という話になるわけです。
「森羅万象をデータとして記録できる」というのは、私も夢見るものです。究極のライフログ、ソーシャルログとでも言えますよね。
そして、その記録の中に自分(それが仮にアバターであったとしても)を置いて、古い記録から時間軸的に再生して体験できるとしたら、それはある種の「過去へ行くタイムマシン」ですよね。
しかし、その上で「記録と現実が、実際にリンクする」と言われると、「んー?」と思います。そんなもの(=「量子記憶装置」の内容と、それに伴う神経・身体・情報の電子的結合)が、この10年や20年で実現出来るとは思えません。物凄い「技術的臨界点」ってヤツが来れば話は別ですが。
「タイムマシンではないもので、過去へのタイムトリップを実現する」ためのギミック/ガジェットとして「量子記憶装置」を作り出した訳ですが、作中で明言されているとおり「位置・形状・組成等→動作状況・周辺状況・変化状況、結果」などを記録することは出来るとして、未だ明示的に記録を開始してはいないはずの「生体そのものの情報・思考」までを正確に記録出来る訳が無く、その点で緻密なハード面での興味は終わってしまいます。
「データに意志があるのか?」という点も引っかかりますしね。
十分にSF的ではあるけれど、ハードSFではなく、ライトな感じかな。というか、ジュブナイルSFっぽいか。
まあ、でも、この映画に対して、そこまで固いSF世界を求めて来る人はいないか。
【5】惜しい。とても惜しい。
お話については「それ以上でも、それ以下でも無い」と思います。何度も見返して、込められた意味を読み解くような作品ではないでしょう。
個人的には話の「SF的論理」が破綻していると思うので、単純に「会いたいんだ」「助けたいんだ」という、「○○したいんだ物」として楽しみました。堀口さんのキャラには全てを振り切る可愛さがありますからね。
ただ、如何せんキャストが今一つではないかと思うんです。
未来から来た主人公役の松坂桃李は、まあまあ悪くはなかったと思いました。朴訥な感じと捉えられなくもないです。
高校生の主人公を演じた北村匠海も、叫ぶシーンとかで「ん?」と違和感を感じるものの、大筋では「こんなもんかな」という感じ。内気な高校生役だしね。
それに比べて、ヒロインを演じる浜辺美波は、何というか、絵(映像)と演技において、「何か合っていない感じ」が否定できませんでした。
実写映画としてならば、彼女で抜群に良い感じになると思うのですが。実に惜しい。
映画の最後のシーンの「やってやりました」のとことか、発したセリフとしてはとても良いのですが、アニメには合っていない。実写版が脳内に浮かびました。もったいない。
よく言われることですが、アニメの場合は、普通の演劇と違って声でしか感情などを表現できませんから、声優専門ではない俳優さんだと伝わり切らない部分が出ます。
芸歴が長く、いろんな演技を経験している俳優さんならば、バリエーションの中から声だけの演技を引き出すことも出来るとは思うのですが、まだ若い俳優さんだと必ずしもそうもいかないと思います。
諸事情がある以上、世間一般に知られていない声優さんで、一つの「製品」として、コストがかかっている映画の勝負に出るのは難しいとは思うのですが、一方で「作品」であるのならば、専門家である声優さんを使うべきなのではないでしょうか。
例えば、この作品でも、俳優さんが当てているバージョンと声優さんのみで声を当てているバージョンとを作って比較してみると、出来の違いがはっきりすると思うのですけれど…。
念のため書いておきますが、当方、浜辺美波さんは結構好きですよ。予告編で見た「屍人荘の殺人」のヒロイン役の彼女は、凄く魅力的です。今よりも、少し前の容姿の方が好みですけど。
あ、でも、作品の内容がグロっぽいので、残念ながら当方は観られませんが…。
血とかの映像が精神的に耐えられないので、ダメなんですよ。
【6】まとめ
映画は瞬間・瞬発力の表現でもあり、入り組んだ話は一度観ただけではわかりません。興味津々で、かつ、スケジュール的に合う場合は何回かリピートして見て考えるのですが、この作品は、それでも分かりづらいかなと思い、復習の為にもノベライズを買いました。
読んでみると、逆に、戦闘シーンを初めとして、文字からは想像しづらい所があり、「どっちもどっち」な微妙なバランスに考えさせられました。
映画をより楽しみたいのであれば、先に軽くノベライズを流し読みしてから映画をみるといいかな。「あっ、こういうイメージだったのか」と、より分かりやすくなって、結果として入り込めると思います。でも、分かりやすさと引き換えに、初見の「!」と思う心の動きは失っちゃうしねえ…。
難癖付けてしまいましたが、十分に楽しめました。
お話のあらすじは学習したので、復習として。画像を楽しむために、機会があれば改めてスクリーンで再見したいなとは思っています。これは、ソフト化されたものを、自宅で見ても、楽しめない作品だと思います。やっぱり、圧倒的な大スクリーンじゃないとね。
でも、観るチャンスあるかなあ。
このところ、忙しいし、そろそろ上映期間も終わりに近づいてくるし…。
【余談】
いつものように、Kindle版でノベライズ他を買ったのですが、悲しいことが1つ。
スピンオフ小説の「HELLO WORLD if ー勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をするー 」は、堀口さん絵のサブヒロイン「勘解由小路 三鈴(かでのこうじ みすず)」がカバーイラストで、Kindle版でもそれが収録されています。
それなのに、本編の方はカバーイラストが無く、殺風景な統一スタイルの物になっているのです。
一応、サムネイルとしては表示されるし、購入後のダウンロード中の画面でも書籍版と同じカバーイラストが表示されるのに、肝心の読書時の表紙は殺風景なヤツになってしまうので、尚更寂しいっす。
↑↑ ダウンロード中はこんな風に表示されます ↑↑
同じKindle版でも端末で挙動が異なり、Amazon謹製端末「Fire HD」だとサムネイルから本文が直接開くのですが、Android端末用の「Kindle for Android」ではサムネイルを選択→カバーイラストを一度拡大表示→本文と開きます。本物の本のようにカバーを見たいのなら、アプリ版の方が望みがかなうんですよね。あ、上記の「Kindle for Amazon」の話は、とりあえずタブレットでの場合です。
ま、本文開いた後は、どちらも殺風景な表紙しか見られませんので同じですし、そんなに表紙を見る訳でもないのですが…。
コミカライズ1巻のカバーイラストが、映画のポスターやチラシをなぞったものなのですが、あの雰囲気を本編のカバーイラストにされても面白くない。
コミカライズが連載されてる「ウルトラジャンプ」本誌ではちゃんと描き下ろしの堀口さんイラストだったことがあり、当方も本屋で見かけてジャケ買いしています。(ォ)
↑↑ Amazonアプリのハードコピーですみません… ↑↑
ちなみに、これはKindle版の表示で、雑誌版とは微妙に異なります
ここは、UJ本誌とかスピンオフ小説と同様に印象的なシーンを、描き下ろしで堀口さんイラストにして欲しいところでした。あー、それだと余計にコスト掛かるかぁ…。無理だな。
Kindle版の表紙が殺風景なのは、新潮文庫の場合とかも同様なので、「書籍は書籍、電子書籍は電子書籍」として、別物と考えて、受け入れるべきなのでしょうが…。
置ける場所があるなら当方も実物の書籍を買いますが、本で溢れかえってやむを得ず電子書籍を買っている訳で、代替品であっても代用品ではない訳ですから、なるべく同じまとめ方にして欲しいところです。
内容を読むだけならば、文字データだけで事足りるっちゃ足りるんですけれどもね。
次は「空の青さを知る人よ」です。
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【追記】
2回目、観てきてやりました!
( *`ω´*) ふんす!
鼻息を荒くするほどのことでも無いですけれど。
改めて、「SF的な設定は破綻してるっぽくね?」と思いました。まあ、ハッピーエンドだから受け入れます。
2回目だし、ノベライズも流し読みしているので、情報処理的な負荷も少なく、サラッと観ることが出来ました。
再確認になってしまいましたが、やっぱり浜辺美波さんの喋りはアニメに合っていない気がしました。
漠然としていますが、語と語の間或いは発音と発音の間の切れ目が分かりづらく、言葉が明確に捉えられない。いわゆる「滑舌が悪い」というような状況に感じてしまう気がします。
そもそも絵が喋るというあり得ない状況を理解するのに、自然・無意識に滑舌の良さを求めてしまうのかもしれません。それに対して、本作での浜辺さんは滑舌が悪いように認知してしまうため「なんか、合ってない」と思ってしまうのかも。甘ったるい雰囲気でも発音が明確だから、福原遥さん演ずる勘解由小路 三鈴は「合ってない」と思わずに受容出来るのかもしれません。
そこで、ふと思ったのですが、「滑舌が悪いキャラクター」を、逆にアニメではどのように表現するのかしら。「合ってない」のではなく「滑舌悪っ」というのをどう処理するかですね。気になります。
そういえば、ヒロインの「一行 瑠璃(いちぎょう るり)」って、「たまこまーけっと」のヒロインの妹「北白川あんこ」の成長後の姿っぽく見えますね。当方、あんこちゃんは、キャラソンが好みなので、今でもよく聞いてまして。