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2020年11月28日土曜日
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2020年11月27日金曜日
妄想炸裂 その7「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
今回の記事は、妄想も妄想、飛躍しすぎな内容なので、あまり信じない方が良いのですが。
まあ、「こういう思考のリンクをしてしまう人も、居るんだ」とでもとらえていただければと思います。
だって、文学科崩れなんだもん。
妄想力は、そこそこ備えてますよ~。
【このお話って…】
うーん、小物(黒電話や車)以外にも、何か引っ掛かる。
何だっけ?
そうそう、「お話」そのものの骨格についてです。
ラストの前、エカルテ島へ自分を訪ねてきたヴァイオレットを拒絶してはみたものの、心中はまるで正反対なギルベルト少佐。
海辺の葡萄畑で、島の老人からの説諭を受けて蕭然としていたところに、兄である大佐がやってきて話をする。
「結局、どうしたかったんだ?」と問い掛ける兄大佐に、「こうさせてやりたかった」という秘めた思いを吐露する少佐。
その会話がどうしても引っ掛かったのです。
「こういう女性(人物)にしたい」という、育成願望があって、文字も何も知らない孤児だったヴァイオレットを手元に引き取ったという点が、何かを思い出させるのです。
以前の記事では「源氏物語」の「紫の上」だといったのだけれど、深い思慕と、最終的にはパートナーとして結ばれるというところは、まあ合致するとして、何かが違う気がします。
やや上から目線と境遇から考えると、あれだ「ピグマリオン」だ!
でも、今風のハッピーエンドになっているから、これは、つまり「ピグマリオン」から形を変えた「マイ・フェア・レディ」を、更に捻ったものではないか?
【「ピグマリオン」とは?】
「ピグマリオン」は、イギリスの作家バーナード・ショウの戯曲作品で、1913年に初演されたものです。100年以上前のことなんですね。
「根は善良なれども相当変わった人物である音声学者のヒギンズ教授と、軍人でありながら語学研究者でもある温厚で礼儀正しいピカリング大佐が、貧窮ゆえに無学で荒削りな花売り娘イライザに、上流階級の者に相応しい言葉使いや知識・振る舞いを教え込み、最初に登場した時とは別人に育て上げるのだが、さて……」というお話。
貧困層出身で、毎日を生き残るだけで精一杯なのだけれど、考え方が清く、一本筋が通っているイライザ。イライザは「あたいは、まっとうな娘だよ」としばしば口にします。大っぴらには言及されませんが、これの意味していることは「売春」等
普段の生活の中ではちゃんとした身繕いを出来ずに薄汚れた身なりなのですが、実は美少女であり、ヒギンズ教授の所へ掛け合い(=ユスリ)に来た父親が、余りの変貌ぶりに娘だと気付かない程。
「ピグマリオン」そのもののネタバレになってしまうのですけれど、まあ、広く知られたお話ですから、よいでしょう。
最初は粗野な下町訛りを喋っていたイライザですが、ヒギンズ教授達の教え方も良く、しばらくすると完璧な英語で喋ることが出来るようになります。
しかし、美しい英語で喋ることは出来ても、会話の内容は当人の知識・経験などの「地」が現れるものであり、美しい喋りと会話の内容に著しい乖離が起きてしまいます。
最終的には、会話の内容についてもヒギンズ教授達が徹底的に教え込み、うら若き上流階級の娘を作り出すことに成功します。まあ「即席」ですけれど。
生活に追われ、身なりも薄汚い。そもそも、越え難い階級の壁(時代的には崩壊しつつはあるけれど)がある中で、やや萎縮し卑屈だったイライザなのですが、育て上げられていく中で知識を得、そして他人との関係性を理解し、小さかった自我がある程度は成長し、萎縮もそれなりには緩解します。
もっとも、与えられたものと引き換えに、本来自分が持っていた「生き生きとした快活さ」や「粗野と表裏一体の生活力」、そして何よりも「本来の自分らしさ」を失って、途方に暮れてしまうのですけれど…。
ちゃんと話を捉えるために、今回、改めて読んでみたのですけれど、一世を風靡し、更に古典として生き残れる作品である以上、「ピグマリオン」は、やっぱりとても面白いと思います。
ここでは、その面白さを伝えることが出来ないし本題でもないので、興味を持った方は、是非ご自身で「ピグマリオン」をお読みになることを、強くお勧めしますよ。
通勤のバスの中で没頭したけれど、ついついクスリと笑ってしまう面白さもあります。
私は、都合1時間30分ほどで読了しました。読みづらいところも有るけれど、さほど時間もかからないと思います。
まあ、後半ではビギンズ教授の異常さに付き合いきれなくなってきますけれど。ショーの言説と、当時の時代性が合っていたから、あの内容で受け容れられたのでしょうね。
細かい部分はおいて、「育成」という設定においては、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、なんとなく「ピグマリオン」の内容にある程度合致しているところもあるのではないかなと、思うのです。
もっとも、「ピグマリオン」の結末は相当に辛(から)いので(※)、そこは「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」とは違うけれど。
※:男女間の認識(「個人的におかしい」というのも大きいですが…)の違いが大き過ぎて、ほぼ断絶しているため、ビギンズとイライザには「恋愛感情」は存在しません。イライザが感情を押し殺して、ビジネスパートナー、いや、とても有能な秘書とでもいう関係に収まります。パーティーでの成功後は、最後の場面に至るまで辛辣な内容が続いて、ちょっとつらいです。。時代的に合わない部分もありますけれど、頷けることもあるけれど。
【実は元ネタがあります】
ところで、バーナード・ショウの「ピグマリオン」にも、そもそもの素材が存在します。
ギリシャ・ローマ神話の「ピュグマリオーン」です。
「女性不信で現実の女性を愛せないピュグマリオーンが、理想の女性像として象牙の彫像を創り出す。
あまりにも真に迫り美しく出来上がったその彫像に対し、ピュグマリオーンは愛情を注ぎ、まるで生身の人間のように接した。
愛と美の女神ヴィーナスの祝祭の折に、『象牙の彫像のような女性と結婚させてください』と祈ったところ、全てを察したヴィーナスはピュグマリオーンの願いを叶える。
願い叶ったピュグマリオーンは、今は人となった象牙の彫像と結ばれた」
今時のアニメ化原作にでも十分になり得そうなお話ですよね。
この「物語の血脈」は今も脈々と人類(というか、「日本人に」かな)に受け継がれていて、自分が読んだ作品の中では、例えば、ごく最近の作品ならば、杉浦次郎「僕の妻は感情がない」が、「象牙の彫像」を家事用アンドロイドに置き換える形で創られていたりします。その話は、またいずれ。
脱線してしまいましたが、古代ローマ時代の詩人オウィディウスの「変身物語」の中の一節「ピュグマリオーン」。
短いお話なのですけれど、彫像の描写がかなり生々しく、「図像」としての相似性は、むしろこちらの「象牙の彫像(=ガラテアという名前です)」に感じたほど。
アイボリーの肌の美女は、なんとなく、ヴァイオレットを連想させるものがあると思います。
私は、取り急ぎ読みたかったので、昔に買って書庫のどこかにある岩波文庫の「変身物語」ではなく、kindle版で出ている人文書院の「転身物語」の方を読みました。そこそこの金額がするので、是非にとは言えないけれど、他にも多数の面白い話が収められているので、図書館なども使って読んでみることをお勧めします。これまで「ギリシャ・ローマ神話」というと、岩波文庫のヤツを中心に読んでいたけれど、この「変身物語」も、実に面白いです。
と、ここまで書いた後で、コミック「せんせいのお人形」というのを、現在刊行されている分すべて(もうすぐ4巻が出ます)読みました。
「0からの育成」という観点では、こちらも興味深いお話です。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、「武器として扱われていた孤児」という背景でしたが、「育児放棄とたらい回しの結果」という背景になっています。
実際に「乳児→幼児→小児…」と育てていく過程は、読者には長く辛いので、「身体は成長したものの、中身は虚ろ」という形を取るのかな。
こういう「育成系の物語」というのも、普遍的に人類が求める物語の内の1つなのでしょうか?
それとも、日本人だけなのかな?
【「物語の創造」ということ】
どういう意図で原作者が本作「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を生み出したのかは、原作者自身に聴かなければ分かりません。
聞いても、100%分かるかどうか。
漠然とでも、モデルになるような素材があったのかどうかも分からない。
きっと自分が思いついた以外にも物語としての素があるはずです。
企画のお仕事をしているとよく耳にするかもしれませんが、「アイデアは、全くの0から生まれてくることは少なく、大抵はこれまでのものの改良か組み合わせであることが多い」ということがありますよね。
物語でも、そのあたりは変わらないと思うのです。
よくある物語でも、時代に合った新味は盛れるし、捻って変化させることだって出来る。組み合わせることだって自由自在です。
だから、ベースに似通ったものがあったとしても、他の部分で相違していればよく、本作は本作としてこれで良く、素晴らしいと思います。
細かな部分に作者なりの想いが込められていれば、それで良いのだと思うのです。
【「類型」という魅力的な存在と、人類の「新しい物語」】
もしかしたらご存知かもしれませんが、「物語の類型」という「物語」を分類し傾向をまとめたものがあるのです。
民話や伝承、神話・伝説等を分析する際に、ヴァリエーション豊富だけど、実は根っこのパターンは同じというようなことはよくあり、そういった研究のために考え出されたものです。この累計は、ネタ元として創作の際にも参照されたりします。
これまでに、様々な類型化・分類が行われてきましたが、昨今のテキスト分析技術の進展で、新たな類型が提案されていたりします。(BBC NEWS「全ての物語の6つの原型 データ分析から解明」https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44286945
リンク先では、英語(翻訳も含んでいるようです)を対象とした場合の分析結果が紹介されていますが、これ、日本語でも使えるんですかね? 興味深いです。
それにしても、根本的に新しい「物語」って、今後現れるものなんでしょうかね?
「事実は小説よりも奇なり」といいますから、とんでもない素材は実話の中にあるようにも思っているのですが。
累計という形で人間の感性がパターン化されているとなると、「腑に落ちる」「理解できる」という点で、これまでにない「物語」は拒絶されそうだから、現れないのかなあ。