今年が、皆さまにとって良い年でありますように。
2020年になりました。
何か数字の見た目が美しいので、ちょっとうれしい気がします。意味などありませんが……。オリンピックとかも、個人的にはそれ程興味も無いし。
新年早々、墓の写真もどうかとは思うのですが、昨年の思い出の中ではこれがダントツで1位なのです。
分かる人には分かると思うのですが、「キリストの墓(?)」です。
1枚目の写真の右側の十字架が立っている方が「キリストの墓(=十来塚)」。
1枚目の写真の左側の十字架が立っている方が「イスキリの墓(=十代塚。イスキリは、キリストの身代わりになった弟という設定)」
「は?」と言われそうですが、青森県は三戸郡新郷村にあるヤツです。
昔、私の通っていた高校では授業の手法等を研究しており、ある日本史の先生が「歴史に興味を持たない生徒に、どのように関心を持たせるか」をテーマにしておられた時期があり、「日本史の謎シリーズ」というのを3回展開したことがありました。第一弾は「義経の謎」、第二弾は「いろは歌の謎」、第三弾は「キリストの謎」でした。
「口碑や野史・伝承といった、ある種荒唐無稽な話題を切り口に、歴史を学ぶ・考える」ことが狙いですから、必ずしも真実ではないことは百も承知でネタにしている訳です。
高校の授業で聞いて以来、「1度は現地を訪れねばならん」と思っていたのですが、昨年春の大型連休の際に、30年越しでやっとこさ実現できたという訳です。
実際の所は、時代は分かりませんが、ある程度の地元の実力者の墓なのだと思います。
東北地方におけるの墳墓の形状・歴史・分布、宗教の様子、新郷村の歴史とを比較検討すれば、本当のところ「どういうモノなのか」は、答えが得られるのではないかと思うのですが。
まあ、眉に唾つけながらですが、生温かく「ロマンだねえ…」と眺めれば、それで良いのではないでしょうか。
「キリストの墓」の辺りは公園として整備されているのですが、その一角に「キリストの里 伝承館」というのがあって、一応、それらしい資料の展示がされています。
解説パネル類には「写真撮影禁止」との表示がされていたため尊重して撮影しませんでした。その為、うろ覚えになって申し訳ないのですが、何でも「キリストは2度新郷村に来て、亡くなった」そうで。
1度目は受難の際に、難を逃れて来て、この地で更に修行をして信仰を深化させたのだそうです。で、その改良版の教えを説くために、中東の地に戻って行ったと。
2度目は「やっぱ、日本の方が落ち着くわ〜(?)」ということで再びやって来て、今度はそのままこの地で過ごし、遂には亡くなったと。
普通に考えれば「そんな訳はない」とは思うのですが、キリストの生きていたと思われる時代は、ヨーロッパから西アジア・中央アジア・東アジアと、交渉そのものはあった訳ですから、時間と運と超人的な体力・気力があれば、中国までならば、来ることは出来なくもないのかもしれません。もっとも、それを2回やれるとは思えませんが。
その先の日本は、その頃は未だ弥生時代であり、やって来たところで、どうもこうもないと思うんですけどねえ。
それにしても、エルサレム近辺に行かなければ見られないと思っていた「キリストの墓」が、日本国内で、日本語の案内看板まであるとは。
かえすがえすも、面白いですよねえ。
ところで、新郷村に「キリストの墓」を作り上げた人達の中には、更に進んで「モーゼの墓が石川県にある」とした人もいます。
まさか、中部東海ブロックの仲間である石川県にモーゼの墓があるとは。
うーむ、これは、是非とも一見してこなくては…!(笑)
取り留めもないことを書いてきましたが、「物事は、見方・考え方で、何とでも捉えることが出来る」ということ、そして、「アホらしくても、夢とロマンは大事にしたい」ということを、「キリストの墓」を作り上げた人達に倣って、相変わらず今年も追求していこうと思います。
そんな訳で、へんてこりんな記事ばかりのこのブログですが、興味とお時間のある方は、お付き合いくださいませ。