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2018年11月10日土曜日

私的まとめ 映画「若おかみは小学生!」その4


 アラフィフのおっちゃんは、仕事から帰ると、ついつい晩ご飯食べてうつらうつらしてしまいます。そして、そのまま本格的に寝付いてしまって寝落ちしてしまうと言う訳です。
 まあ、こそこそっとやってる不定期更新ブログですからねえ。実害はありませんけれど。


 さて、このところは映画「若おかみは小学生!」についての記事を連投していますが、感想的には前回まででほぼ言い尽くしていますので、今回は落ち穂拾い的な話題をいくつか。

 ちょっと分量的に中途半端ですので、各映画館に設置されていた「○○へようこそ」パネルの写真をまとめておきます。



【あれもこれも欲しいです】
 エンドロールの、バックの絵がとても良くできていて、最後まで目が離せませんでした。
 イメージボードのあれ、画集みたいにして売らないのかなあ。
 お話の裏側を垣間見れて、一部以外は表に出ないというのは勿体ない気がします。
 今後、「設定資料集」とか発行するのなら、是非是非収録を。
 あ、欲を言えば「絵コンテ集」も切望します。


↓↓ TOHOシネマズ名古屋ベイシティ ↓↓





【あれやこれや】

 事故直前の車の中のシーンで「旅館のこと、ちゃんと考えなきゃな」とおっこの両親が話していたことからすると、事故が起こらなかった世界では、いずれ両親が春の屋に入って(戻って)主人と若おかみになり、おっこもそれについていくことになるのだろう。

 でも、その場合、おっこ自身が次代の若おかみになり得たかというと、そうでもない気がする。「嫌だ」といいそうな気がする。一人娘のおっこが三代目を継がないとなると、春の屋もそこで終わりになるんでしょうかね。

 あ、おっこ母が若女将になっちゃうと、おっこが小学校にいる間には次期若女将にはならないから、そもそも「若おかみは小学生」自体成立しなくなるねえ。
 あるいは、「出戻り若女将」みたいなお話も無くはないか。

 それはそれで、王道の昼ドラマみたいでおもしろそう……かも?


↓↓ MOVIX三好 ↓↓




【どっちが親子?】

 「おかあさん、幾つになるんだっけ?」というおっこ父の台詞だけでは、峰子ちゃんが両親のどちらのお母さんになるのかが判別できませんが、ノベライズでは「お義母さん」となっていますので、おっこ母の親だと判明します。
 瞳の色からすると、おっこ父と峰子ちゃんが親子なのかなと思っていたのですが、そうではなかったんですね。

 おっこ母と峰子ちゃんが親娘だからこそ、エンドロールの絵の中で、たぶん、おっこを宿したであろうおっこ母がお布団で横になっているのを、峰子ちゃんが見守っているシーンがあるのでしょうね。

 でも、両親は神楽のことからすると、どちらも花の湯温泉郷の出身なんでしょうね。
 どうなふうに成長し、東京で暮らし、結婚しているのか、おっこの両親のストーリーも面白そうですね。


↓↓ イオンシネマ名古屋茶屋 ↓↓





【やっとこさ】

 「観よう」「買おう」と思っていた高坂監督の前々作「茄子/アンダルシアの夏」を、初回観覧した日の夜に観た。
 急いでいたので、手っ取り早くAmazon のprime特典で観られてよかった。


 「茄子〜」も、実に良くできていて、自転車のロードレースに関心のある人なら、「うんうん!」と頷きながら観られるはずだ。ゴール前の荒れ狂いっぷりが、「そうだよねー、みんな死物狂いでペダルを踏むわな」と実感させてくれて興味深い。


 素晴らしい出来なのだが、これも惜しむらくは一般受けしない。
 そんなところが今作「若おかみは小学生!」にも、悲しいかな受け継がれてしまったような…、惜しいなあ。


 遅ればせながら、「茄子/アンダルシアの夏」も買おっと。

(↑この部分は、初回観覧した日の夜=9月22日の夜に書いたメモがベースなので、現在のような「復活」を知らない時のものです↑)


↓↓ 立川シネマシテイ ↓↓



【いつものシネコンも頑張ってはいた】

 前々回の記事には、いつも通っているシネコン(松竹系の「MOVIX三好」)で上映期間中に展開されていた、簡易なパネル展示の様子を撮影した画像を編集したものを付しました。

 私が3回通った上映のいずれもが、惨憺たる客の入りで、「……。」とシネコンさんの心情に同情したものです。

 「こんなはずではなかったのに」と思ったであろうと推察しますが、それでも頑張って上映期間中はパネル展示を全うしてくれました。


 前々回の記事に付けた画像は、実はこのパネル展示を撮影した写真(各パネルをアップで撮影した写真)から無理やり切り出して、色調やらパースやらを調整したものです。


 ふう。ということで、iPhoneからの更新はなかなか面倒ですねえ。これでも、それなりに専用のアプリを追加してるんですけどね。

 そんなこんなもあって、寝落ちしてしまうと、ついつい更新が途切れてしまいます。

 今日は旅先の旅館でやることがないので、これ幸いと下書きに手を入れて投稿しております。


 次回は「若おかみは小学生!」編の最終回です。



2018年11月6日火曜日

私的まとめ 映画「若おかみは小学生!」その3


 アラフィフの妄想がたくましい記事が続きますが、気にせずいきましょう。

 今回は、一応のまとめと、「ノベライズは是非読むべき!」の2本でーす。


【結論】

 3回目で悟りました。
 この作品は、子供向けの体裁を取りながらも、実は完全に大人向けなのだと。

 3回観た時点で、トータルとしては、当の子供は約半数程いました。
 けれど、「テレビの続き?」と思って映画館に来たような低年齢な子では、この映画のストーリーは理解できず、退屈そうな態度を取る子が多いように思われました。
 また、小学校高学年の子にとっては、もしかしたら、もう、こんなお話の内容では既に陳腐化しているのかもしれず、あまりそれくらいの子は見受けませんでした。そもそも、今どきの子はそれほど本を読まないのかもしれないですし。

 興行のプロである作り手(企画・制作サイド)だもの、この内容では子供受けしないことは分かっているはず。分かっている以上、この作品を夏休みにぶつける訳がなく、だからこそ、夏の終わり~秋の始めのこの時期に、隙間を縫っての上映なのだと思います。テレビシリーズの締めくくりみたいなチャンスも利用して。

 しかし、この記事(※)でも語られていますが、「見た目と中身のギャップで迷走した。それは、配給・制作(主に営業でしょう)側、観客側の双方で起こり、結果的に初期動員が少なかった」という結果になってしまい、危うく消えてしまいかねない状態を招いてしまった。

 子供を狙うのではなく「大人向け」で打っていけば、今回のようなある種の復活劇にハラハラすることもなく、行けたのではないかと思います。
 それくらい、大人向けの作品だと思うのです。

 画面の中で主に動いているのは「あくまでも子供」という体裁を取っているから、必要以上に説教臭くならず、だけどお話そのものは「喪失からの復活」「癒やし」「前向きさ」をど真ん中に据えています。
 実写化したら惨憺たる結果になりそうな、そんな危うい線を、アニメということで上手に逃してあるんです。


 テレビシリーズとは、ちょっと一線を画した、上質な物語。
 どちらが良いとか悪いとかではなく、アナザーストーリー同士なのかもしれません。
 コメディ寄りというテレビシリーズを見ていた子供たちが、大人になってふと「あ、映画もあったのか」と思って見てみると、「あれ? こんなお話だったっけ? でも…」と思ってくれるような、そんなアナザーストーリーのような気がします。
 そうですね、少し挫折も味わって、世間を見た30歳くらいの大人になったら、観て欲しいかな。


※:この記事です。
ORICON NEWS 2018年10月27日
「プロデューサーが語る『若おかみは小学生!』メイン館打ち切りからの復活劇の教訓」
①→ https://www.oricon.co.jp/confidence/special/52012/1/
②→ https://www.oricon.co.jp/confidence/special/52012/2/


【「ノベライズ」は必読です!】

 ついつい重複買いしてしまった「映画ノベライズ」の文庫本ですが、これは必読の書です。

 前回の記事の「おっこちゃん」の最後のところで、「花の湯牛と適切に付箋が付けられた参考書を受け取った康さんとのやり取りの時に見せた複雑な笑顔」についてエラそうに書いてしまいましたが、あの解釈は作り手(この場合はノベライズした原作者かもしれません)の意図とは違うのです。結果だけで言えば、あれは間違い。

 言い訳になってしまいますが、上記した「おっこちゃんの笑顔」の部分は、「映画(動画)から読み取った情報だけで考えると、ああいう答えにしかならない」ということで。

 あくまでも、「映像作品」としてはあの内容な訳で、それを補えるのは「映画ノベライズ」なればこそです。「原作小説」となると、逆に「映画が補う/膨らます」ってことになりますからね。


 次回の記事の中でも「この描写の、裏付けが足らない/短い」みたいな内容が出てきますが、ノベライズを読むと、そうやって引っかかっていた箇所に納得できる記述が付されているので、腑に落ちるのです。


 ノベライズは「リズと青い鳥」の記事の中で既に書いたように、

 ①講談社文庫版=大人向け

 ②講談社青い鳥文庫版=子供向け

 の2種類が出ています。

 どちらもほぼ同じ内容なのですが、細かい部分で差があります(言い回しだったり、子供には不要な所が省かれたり)。あと、大きな違いとしては、青い鳥文庫版には、所々に映画のカットが挿絵として入っていますが、講談社文庫版には挿絵はありません。

 内容が同じなので「お好きな方をどうぞ」というところですが、読み応え・読みやすさとしては、やっぱり講談社文庫版かな(※)。

 でもね、挿し絵で各場面を思い出せる青い鳥文庫版も、悪くはないっすよ。

 いっそ、両方を読み比べて差分を確かめるのも面白いのかも。

↓↓ 気晴らし買い? (^^;) ↓↓


 映画を観て、「もう少し補いたい」と思ったら、是非ノベライズをお読みください。


※:Kindleの「読み終えるまでの平均的な時間」を見てみると、講談社文庫版=2時間22分に対して、青い鳥文庫版=4時間42分と、前者の方が断然短いです。読者の年齢層の違いなのかな?


 そう言えば、Amazonをさまよっていたのですが「ゴールド絵本」「アニメ絵本」もKindle用のデータあるんですね。


 (゚A゚;)ゴクリ


 でもなー、「ゴールド絵本」の商品説明に「対象年齢:2歳以上」って書かれていたのが、どうも引っ掛かるんですよね…。


 さて、物欲にまみれたところで、今回はこの辺りで。

 次回の記事では、落ち穂拾い的なあれやこれやを取り上げます。

2018年11月5日月曜日

私的まとめ 映画「若おかみは小学生!」その2


 今回も、妄想をスパークさせていきます。
 各登場人物についてのちょっとしたことを書いております。
 興味が偏っているため、取り上げていない人たちもいますが、その点はご容赦くださいますように。
 

【おっこちゃん】

 最初の頃は「あれ、これ私の本意じゃないんだけどな」って困ったような作り笑いの表情を浮かべていたおっこだけど、神田親子で手応えを掴んだ後は、少なくとも「どうしようかな」という、解決のための困ったような表情はしても、「意に添わない(嫌なんだけど受け入れてる)ことから来る、アンビバレンツな作り笑い」は見せなくなった。これは、成長の端的な表現なんだろうな。前向きさとか。


 真月ちゃんから資料や花の湯牛のお肉を貰ってきてからの、康さんに見せる複雑な笑顔混じりの表情は、知識も無く役に立てない自分への不甲斐なさ、そんな自分を責めずに扱ってくれる康さんへの申し訳なさから来ている、半ば苦笑いみたいなものですよね。おっこちゃんの気持ち、なんか分かります。


【水領様!】

 胸騒ぎがして駆け付けてくれるほどの水領様だから、露天風呂のシーンでおっこのことは感じ取っていたんだと思います。

 「花の湯温泉のお湯は、誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる」と少し苦しそうに答えたおっこの言葉の中には、「自分もそうなのだ(=癒される側)」ということが含まれている。そんな、本当は苦しいはずのおっこの気遣いで、水領様の気持ちは変わり、少しずつ元気も出て気が晴れてきた。

 「それじゃ、そんなにも頑張っている『あなた』の気晴らしは?」って思いから、おっこに問いかけたのでしょう。そこには「今度は、私があなたを少しでも元気付けるね」という想い・やさしさが感じられます。
 あの「お風呂場のやり取り」には、たったあれだけの中に複雑なものが隠されているんだと思います。


 水領様は、ウリ坊・美陽ちゃんのことも気づいていたのかもしれません。
 車に戻ってショッピングモールへ向かう時のシーンの中で、水領様、ふと、リアシートを見るんです。
 姿は見えなくても、ウリ坊・美陽ちゃんの気配は感じているんじゃないかな。


 水領様の車の中で、おっこが三人のストラップをぎゅっと握りしめているところでの「ずっと握られて苦しそうよ」っていう台詞には、「おっこのことが気がかりで昇天出来ない二人」のことに繋がっているのかもしれません。

 おっこが、水領様との買い物で大人っぽい服装を身にまとって、それまでの子供っぽさがまだまだ多かった姿から少し成長したように思えた後。
 花の湯温泉の社会の中に少しずつ溶け込み、居場所を得つつ精神的にも少し大人に近づいていくことで、二人が見えなくなっていくことになる(=精神的に成長していると思われる/※)訳ですから。

 姉のような、年の離れた友達のような、今のおっこに寄り添う見守り手の水領様は、だから、あの「気晴らし買いドライブ」で、おっこに強いきっかけを与えていたのかもしれませんね。


※:「『精神的な成長』で失うもの」という点について表しているのが、神楽のお稽古場に掛かっているもう一つの書である「二分心」なのかも。
 こちらは漢文と違って詳しくないので、ここまでとしますが、時間が出来たら、ちょっと関連書(たぶん、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡」)を読んでみようと思ってます。面白そうな本です。


【みーねこちゃん】

 そうそう、峰子ちゃんは、ウチの母方の叔母と同い年。
 峰子ちゃんは、背中に一本筋が通った、シャンとしたお祖母様なのね。羨ましい。
 ところで、叔母の世代の様子を考えてみると、昭和30年頃にしては、ウリ坊も峰子ちゃんも、スタイルがちょっと古すぎるような気がしますな。なんだかんだで、昭和39年には東京オリンピックやってる訳ですから。


 ちなみに、死んだウチの母方のばあちゃんの名前も「みね子」なんすよ。
 だから本作で、ウリ坊が「峰子ちゃん」を連発すると、ちょっと小っ恥ずかしいような…。

 なお、母方の叔母には「みよ子」略して「みよちゃん」がおりました。
 この叔母は劇中の美陽ちゃんよりも小さな歳で世を去っていて、写真も見たことがないので、私にとっては幻の叔母です。


【鈴鬼くん】

 鈴鬼くんは、エンドロールのイメージボードで、お母さんからおっこのこと「私に何かあったら あかちゃんを守ってね」と頼まれていたんですね。
 だから、おっこが春の屋に一人で現れた翌朝、おっこだけに聞こえるように鳴っていたんですね。
 そう思うと、神楽のところで、鈴鬼くんが木の上でおっこの両親の写真をじっと見ているのも、なんとも言えない感じがします。ただの魔物じゃないんですよ。

 そういえば、ウリ坊も鈴鬼くんの横でお母さんのお願いを聞いていました。だから事故の時におっこを助けてくれたのかも。

 原作シリーズの中では、鈴鬼くんは作家になっているところもあるそうですね。
 神田父から届いた雑誌「WAVE」を読んでいる場面で、妙にメガネが似合っていたり、「関織子さんじゃないんですね」とか言ったりしてるのも、実はそんな作家・鈴鬼くんをちょっとイメージさせてくれる気がします。


【掛け軸の意味】

 神楽のお稽古場に掛かってる掛け軸。
 向かって右側の「生我者父母 成我者朋友」ってヤツ。
 あれが、あそこで掛かっているのって、実は意味があるのではないかと思うのです。
 決して、単純に「それらしい」のが背景として描かれているのではないと。

 あの「生我者父母 成我者朋友」、中国の古典「管子」の「管鮑之交(かんぽうのまじわり/※)」のところですね。長いお話になってしまうので、詳しくはネットで検索して欲しいのですが。
 とりあえず、あの漢文は「我を生みなししものは父母 我を成らしめしものは朋友」とでも読んでおくとして、意味は「私をこの世に産み出してくれたのは父と母。私を私たらしめてくれたのは親友」くらいでしょうか。
 古代中国で活動した「管仲(かんちゅう)」と「鮑叔(ほうしゅく)」とは、いろいろと経緯があるものの本当の理解し合った親友だったという故事に基づきます。

 あの掛け軸、何気なく掛かっているように見えるのですが、両親を無くしたけれど、新天地で「真月」という「良きライバル=理解者」を得たおっこの今を考えると、また違って見える気がします。
 神楽の練習の辺りは、おっこの精神的成長を感じさせるところだったりもしますしね。
 まあ、考えすぎかもしれませんけど。


 そういえば、教室の後ろに掲示されている書道の作品ですが、あれも小学6年生とは思えない漢字ばかりで、ちょっと驚きます。「惻隠(そくいん)」とか「陶冶(とうや)」とか「醍醐」とか。
 案外、花の湯温泉の一帯は、国語のレベルの所だったりして。


 私、何故か今は技術者もどきをやってますけど、元々はバリバリの文系なので、ああいう漢文とかって気になるんですよー。



※:今回のは、よくある「禅語の掛け軸」から採ったんでしょうかね。
 本来の出典(例えば「史記 晏管列伝」、それから引いた「十八史略」)だと後ろ半分が「我を知る者は鮑子なり(知我者鮑子也)」ですからね。「知我者鮑子」では、単に管仲と鮑叔だけのお話ですが、「成我者朋友」ならば普遍的な友人関係に拡大できますから。

 仲日、生我者父母、知我者鮑子也。 
 ちゅういわく われをうみしはちちはは われをしりしはほうしなり

 ところで、管仲は古代中国にあった国「斉(せい)」の「桓公(かんこう)」という主君に仕えました。
 「周(しゅう)」という王朝の中のいわば「○○藩」として、「斉」のような国がいくつもあったのですが、そういった国同士が争っていた時に、桓公が初めて「覇者」として各国の主である「諸侯」を集めて盟約の会を挙行しました。その時に、桓公を支えて覇者に押し上げたのが管仲だったんです。

 桓公九合諸侯、一匡天下、皆仲之謀。
 かんこうしょこうをきゅうごうし てんかをいっきょうせしは みなちゅうのはかりごとなり

 管仲さん、凄い人なんすよね〜。

 って、ここで春秋戦国時代の話をしても仕方が無いので、今回はここまで。


 姉さんかぶりのおっこは、働く着物姿の良さを再認識させてくれましたよね〜。

 さてと、次回は、この映画についての私なりの「結論」を取り上げる予定です。


 今回の画像は、いつも通っているシネコンのロビーでのポスター展示を撮影した写真から無理やり切り出したものばかりなので、ちょっと見栄えが悪いです。
 一応は、補正してありますが…。

2018年11月4日日曜日

私的まとめ 映画「若おかみは小学生!」その1


 こんな辺鄙なとこで適当にやっているブログでは、たまたま目にしたような人はいないでしょうから、今回の記事も映画を観ている前提で書いています。
 当然ネタバレあり。そもそも、観てる人じゃないとわからない話ばかりです。

 不幸にして、この映画を知らず・観ずにここに来てしまった人は、直ちにページを閉じて、行ける方は、上映している劇場で観てから、又おいでくださいまし。

 元々はメモ書きベースなので、散漫なまとめ方です。すみません…。

 この「若おかみは小学生!」は現時点で8回観ており、いろいろとメモも溜まってましたので長いです。
 今回の記事は、主に1〜3回目辺りまでの時のメモをまとめています。


【前書き的な】

 本当は封切りの日(9月21日)に観に行きたかったのですが、お仕事の都合で行けず、翌22日の朝一上映を観に行きました。
 小さいシアターだったのですが、それにしても、土曜日の割に客の入が良くはないんですよね。朝早いからかもしれませんけど。


 まあ、ちょっと、軽く思ってたんです。
 児童文学書が原作だからと言っても、小学生の主に女児をドッと集められるような作品ではないだろうと思われ、だから夏休み中に大々的に上映する作品でもなく、「そこまで力が入ってないのかな」って。

 でも、何度か予告編を見て気にはなっていたので、前売り券をちゃんと買ってはおきました。
 もっとも、Loppiの特典(※)が欲しかったという説も有力ですが。


 ところがですよ。観てみると、ぎゅぎゅっと濃縮された、とても良く出来た映画だったんですよ。
 
 お話的には、「加害者の人がそんなに都合良く来るわけないじゃん」とか、「おっこちゃん、その人のせいで人生が全然変わってしまったはずなのに、割り切れ過ぎでしょ」とも思うけど、ほら、これ、元が「青い鳥文庫」ですから。
 児童に、可能ならば良い方向へのインスパイアを与えるヤツに、正しくても過剰な現実は要らんですもの。

 まあ、そこら辺を差し引いても、原作を尊重しつつメリハリのあるストーリー。
 これは、「さすがは吉田玲子さん」ってとこでしょうか。
 もちろん、「これを伝えたい」「ここを拾いたい」という高坂希太郎監督の取捨選択・着眼点も効いているのですけど。


 ※:「劇場版『若おかみは小学生!』 Loppi限定A4クリアファイル4枚セット+まるわかりブック引換券付前売券」ってやつです。


↑↑ こんなのです。 ↑↑



【素人目線の考えですが…】

 素人が言うのはおこがましいけれど、見せるべき所はちゃんと分かっている作り手のメリハリに感心します。
 「神田親子の反応から、旅館のお仕事の手応えを掴むところ」~「終業式の日の帰り道」の辺りまでで、ちゃんと、物語後半に必要な「医食同源」を仕込んでたり、真月がただ高慢なだけではない努力家であることも同級生達とのやりとりの中に示してるし。それに、いずれは温泉街を継いでいく仲間になる同級生たちとのワンシーンも大事な一コマですしね。
 原作に比べて「スズキ君」のキャラクターがすっかり後味悪くなってしまっていた「ペンギン・ハイウェイ」との差が、こういう所に感じられるような気がします。


 最後の山場に向けての大事な仕込みである水領様とのドライブ途中の過呼吸発作のシーンからの切り替えでは、「車でドライブしている」という設定を使って、商業的に組み込まざるを得ないのであろう、主役を演じている子が歌っている曲をドライブのBGMとして流し、ちょっと重くなっていた雰囲気を切り替えます。
 その時に、オープンカーのルーフを開けて明るい太陽の光を感じさせ、沈んだ空気を流しちゃうなんて、実に「巧み」だと思います。


 ラスト前のクライマックスとのギャップのためにも、一度、観客に華やかな見せ場を与える「気晴らしショッピング」のシーンでは、小説では絶対に出来ない(だって、本は活字だもん。いくら素敵な挿し絵であったとしても、この高揚感は出せないでしょ?)ファッションショーっぽい展開をポンと出してきます。
 ここは、「夏の春の屋 ゆかたコレクション」の浴衣ファッションショーとの関係もあるんですかね。本当に水領様がファッションショーやってくれるんですから。
 途中には萌え風味濃厚な美陽ちゃんのショットを入れたりして、遊びとサービスも織り込んで、お上手だと思います。

 ここで「明るく楽しく切り替わった」「もう大丈夫」と感じたからこそ展開に濃淡・メリハリが付き、クライマックスのおっこの深化(生まれ変わり)に深みが出てくるんじゃないかな。


【「立派やなぁ」】

 大丈夫になったはず(=大丈夫なように見える)のおっこに突きつけられる過酷な展開。
 立ち直れたのは、危機を感じて駆け付けてくれた水領様のおかげだけではないと思います。
 水領様の「あなたは一人なんかじゃないわ」という言葉には、おっこを見守っているたくさんの存在を伝える心が込められている。そんな存在達から受けた精神が「春の屋旅館の若おかみです」で昇華するのだと思います。

 正直、「そんなに簡単に、切り変われるものなの? 言わば親の敵(かたき)だよ」とは思います。
 思いますが、まあ、そこは「物語」なので。
 素直に、「成長した」おっこちゃんの姿に、その心意気に感ずることとします。


【完璧なラストシーン】

 ラストで、お話は冒頭部分と交錯します。

 「小さな頃には、神楽を舞うことに憧れたもんだよ」
 「今でも舞ってみたいわ」
 「おっこちゃんが神楽を舞うのを見たいわ」

 と語っていた父母の想いが、神楽の舞台に立つおっこに繋がるのです。


 神楽を舞うおっこを見守る沢山の温かい存在。
 この世にいる人・いない人、登場したキャストが総登場して、これまでとこれからを結びます。
 「一人だけじゃないんだ」と、自分を包んでいる沢山の温かい存在を確かに感じるからこそ「この瞬間がずっと続けばいいのに」とおっこは願ったのかもしれません。

 自分自身の成長と、それを見届けに来ることの約束。それを信じて、楽しみにして、頑張って…。
 おっこの新しい時間は、この時から始まるのでしょう。



 いやいや、この「若おかみは小学生!」についての記事でも、アラフィフの妄言が溢れてきましたね。我ながら困ったもんです。
 長いので、続きはまた次回で。