ということで、「天気の子」の感想です。
「天気の子」を観に行ったのは、9月初めの頃。
今となっては、話題的に合わないのですが、書き出しの部分まで含めての展開なので、当初書いていた記事をなるべく生かす方向でまとめています。
----------------
9月になりましたね。
朝の通勤時、バスに学生の姿が戻って来ると「夏も終わったな」と思います。
夏が終わったなと思うのは、お天気が少しだけ変わったことからも感じますよね。
夕方退社して、職場の建物を出た時にふと見上げる空の様子が、何というか「空が高くなったな」と思うようになると、夏の終わりを感じます。
人口に膾炙した和歌ですが、「夏と秋と ゆきかふ 空のかよひぢは かたへ涼しき 風や吹くらむ」という、古今和歌集・夏巻の最後を締めくくる凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の和歌を思い出しますねえ。歌の意訳は「夏の終わりの今日。夏と秋とが行き交う空の上の通路は、片方だけ涼しい風が吹いているのかなあ」とでもしておきましょうか。
きっと、今の、秋雨前線が居座る日本列島上空は、夏の空気と秋の空気が押し合いしていることでしょう。
夏が終わり、学生さんが居なくなるのを待っていたことが一つ有ります。映画を見に行くことです。
具体的に言うのなら「天気の子」を見に行くのを、先送りしていたのです。
話題の映画となると混み合うのは避けられない。でも、騒々しい雰囲気はイヤなんですよね。なので、夏休みが終わるのを待っていたのです。
まあ、封切りの際の全国一斉上映を見に行くという手も無くはなかったのですが。

新海誠監督の前作「君の名は。」は、「何回見たっけ?」と思う程度にはリピートしました。名古屋で見て函館で見て名古屋で何度も繰り返し観て、最後は立川で見て、とね。 見るたびに、また見たくなる、そんな「魔法の作品」だったと思います。
でも、今作「天気の子」は、今一つ気が進まなくって。
予告編は、劇場で何度も見たんです。
だから、もちろん気にはなったのですが、何だか今作は前作と違う雰囲気を感じて、「むむむむむむ…」と思ったんです。
たびたび言及していますが、当方「ハッピーエンド至上主義者」なので、ストーリーが破綻しようとナンだろうと、「うんうん」と思えるラストが欲しいのです。ですが、「天気の子」は、予告編から、ほのかに漂う不穏さを感じたんですよね。
それも、「天気の子」を見るのを先延ばしにしていた理由の一つですが。
不穏さが何なのかを考えることが、裏返せばこの作品に込められた意味を読むことになるのかもしれない。そんな風に思いました。
【1】スッキリしないのです。
前作「君の名は。」が「彗星から分裂したものの落下」という、人の遥か及ばないものからの被害への抵抗を描いたのにくらべて、今作は「環境破壊・温暖化・異常気象」という人自らが生み出すことに加担している事象による被害に向き合うことであるため、単純・素直に受け入れられないのかもしれません。
なんだか、映画を見ている自分自身に対しても、ある種の責任を問われているような気がしてしまいますから。
「言いたいことは、わかる。でも、それで、一体何をしろと言うのさ」という感じ。
ストーリーは理解できても、意味が身に沁みてこないのが、なんかすっきりしないのかもしれません。
実現性がかなりあり、実際に起こりかねないことを突きつけられると素直に楽しめないんじゃないでしょうか。
当方の「ハッピーエンド至上主義」を差し引いても、観終わった後で今ひとつ「清々しくなれない」「スッキリしない」のはそのあたりに理由があるのかな
【2】「weathering with you」のこと
どんな「子」なのかを示すために、名詞「天気」を格助詞「の」で繋いで連体修飾語とした「天気の子」というタイトルだけでは、この物語のすべてを捉えられてはいないと思うんです。
この場合の「天気」は、普通に使う「その時どきの、晴雨・気温・風のぐあいなどの状態(※1)」や「〔『よい天気の意から』〕晴天(※1)」ではなく、「天の気:万物を生育する、天にみなぎっている精気(※2)」の語意を採りたい。
というか、帆高と夏美が取材で訪れた「気象神社」の神主さんの説話の意を汲めば、採るべきでしょう。
そして、単に主人公達あるいは特別に陽菜だけが「天気の子」なのだというのではなく、広い意味で「人は皆、『天の気』の子」なのだと捉えるのだと思います。
けれど、本作の内容を考える際に着目すべきは、むしろ英語による副題「weathering with you」の方でしょう。「天気の子」という邦題からだけでは、作品に込められた作り手の想いは判明しきらないような気がします。
業界用語になりますが「ウェザリング」と言われれば、プラモデル等の模型を作る際に、わざと汚れのような塗装などの処理を施して、使用感を出しリアルさを増す技法です。
もちろん、この場合はそれではなく、「困難な状況を乗り越える」という意味でしょう。動詞「weather」の語意の内の1つです。
作品の一番最後、島から再び東京へやってきた帆高が陽菜と再会する場面でのセリフから考えても、それが、「weathering with you」の示す意味です。「沈んだ世界の中で、二人で、困難な状況を乗り越えていく」ということ、そして拡大解釈すれば「みんなで現状を越えなければ」というメッセージなのでしょう。
※1:三省堂/新明解国語辞典第七版より
※2:小学館/精選版日本国語大辞典より
【3】「愛にできること」
この作品の成り立ちにおいて、音楽を担当したRADWINPSの影響が大きいことは小説版「天気の子」の作者あとがきでも触れられています。
挿入歌・主題歌として用いられている「愛にできることはまだあるかい」は、上の「weathering with you」の意味するところとも繋がりがあると考えています。
つまり、「乗り越えていくことの根底には、愛が必要なのだ」ということかな。
「天気」の犠牲となりつつあった陽菜を何とか救ったのは、帆高の陽菜への強い想い「愛」があったから。
沈んだ世界を乗り越えて行こうとするのは二人の間に「愛」があるから。
「愛があれば。愛にできることは沢山あるんだよ」という作り手達の想いが、この作品として、たどり着いた答えということだと思います。
前作「君の名は。」も、「あの人を救いたい」「あの人にもう一度逢いたい」という強い想い=愛を感じさせるものでしたが、主人公達は決意表明などはせずに終わりました。
それに対して本作「天気の子」では最後のシーンで主人公・穂高が強く決意を示しました。その点において、作り手=新海誠監督の前進を感じます。実績を踏まえた上で「私の考えは、想いは、これです」と作り手の意志を明らかに示せるようになったというか。
【まとめ】
まとまりがあるような無いような感じで考えてきましたが、ハッキリした答えには辿り着き切らなかったような気がします。
ただ、言えるのは、「作り手のメッセージが重いからこそ、すっきりしないのかもしれない」ということです。
東京を水に沈めた雨をもたらしたのは、人が変えてしまっている気候が背後にあるはず。自分が取り組まず、誰かに頼るだけでは破滅的状況は変えられない。
強い意志を持ち、愛と共に現状を良い方に変えていく。
いや、変えていかなければ。
このメッセージをどう捉えるか。
エコな暮らしを送っている人ならば、肯定的にすっきり受け止められるのか? いや、そもそも、エコって何なんだ? 正解があるのか?
この作品を見た数多くの人は、一体何をどう思ったのかな。
奇麗な映像・美しい音楽のその先に、何を感じたのか。
とても気になるところです。
あなたは、どうですか?
----------------
単なる、考え過ぎかも。
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー。
まあ、膨らむ妄想も含めて、観る楽しみということで。

そういえば、パンフレットの「第2弾」が出ましたね。休暇取ってセルフ3本立て鑑賞した際に見つけて買いました。 撮影の都合で、第2弾を下にしてしまいました…。絵的に第1弾の方が好みですし。
なんだかんだ言っても、嫌いではないです。この作品。
次は、「Hello World」の感想記事です。