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2021年1月2日土曜日

AT−Xなればこそ


 淡々とアニメを録り続ける毎日です。
 お正月でも変わりません。


 ウチはAT-Xを契約しています(※)。
 有料CS放送の醍醐味を感じるのは、年末年始とかゴールデンウィークの、いわゆる「特別編成」の時ですねえ。

 明日、1月3日はなかなか凄くって、

 ① のんのんびより(第1期)全12話一挙放送
 ② のんのんびより りぴーと(第2期)全12話一挙放送
 ③ のんのんびより(第1期)のOAD放送 ←いわゆる「第13話」
 ④ のんのんびより りぴーと(第2期)のOAD放送 ←いわゆる「第13話」
 ⑤ 劇場版 のんのんびより ばけーしょん




 と、午前7時30分から午後7時45分までの12時間15分の間、ずーっと「のんのんびより」を放送しっ放しになるんですよね。


 その後は、

 ⑥ ゆるキャン△(第1期)全12話一挙放送
 ⑦ ゆるキャン△ 特典映像 ←Blu-ray&DVDに収録された特典映像
 ⑧ へやキャン△ 全12話一挙放送
 ⑨ へやキャン△ 特典映像 ←Blu-ray&DVDに収録の特典映像

 ゆるキャン△関連をまとめて放送になります。


 どちらも、この冬のクールで続編の放送があるので、その前の一挙振り返りみたいな感じでしょうかね。


 「ニコニコ動画」とかでも、こういうまとめて放送するのはありますが、ウチはニコ動はたまに眺める程度で、基本的にはあまり使っていません。動画のクオリティの確保やらなんやらの点で「どうかなあ…」と思っていますので。

 CSではあるものの、一応は「放送局」だし、余計なCMとかも無いので快適だし、やっぱり「ワンランク上のアニメ専門チャンネル」だけあると思いますよー。


 さて、またHDDを発注するか…。



※:
 アニマックスも契約してはいますが、こちらはあまり活用してませんね…。
 タイトルのラインナップの点で、個人的に微妙なんですよねえ。
 「解約してもいいかなー」と思いつつ、ダラダラ継続してます。


 あ、あと、「BS・CS合わせて4つの放送の録画に対応」ではチューナーが足りません。
 最近はBS各局が深夜アニメの放送に積極的(再放送も多いですが…)なので、アニマックスまで録画できないことが多いんですよね。

 もう1機録画用PCを追加しなくてはと思う今日この頃です。


2021年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます





今年が皆様にとって良い年になりますように


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 あけましておめでとうございます。
 今年も、個人的なこだわりの話題ばかりですが、お暇な時にでもお立ち寄りいただければ幸いです。

 今年は個人的に区切りの年齢となるので、いろいろと整理に取りかかりたいと思っていますが、どうなりますことやら…。


 見栄え優先で後処理したら、なんだか微妙に不穏な感じが出てしまったような…。
 まあ、昨年は「キリストの墓」の写真でしたからねえ。それに比べれば、まだ良いのではないかと思いまする。




2020年12月31日木曜日

2020年唯一の、県外行き


 今年最後の記事は、お出かけの話にしました。
 一応、「旅日記」と名乗ってますからね。

 「お出かけ」とはいっても、今年は新型コロナウイルス禍の下ということもあり、ほとんどしていません。

 ウチの職場は、ちょっと特殊な業務を扱うこともあるので、新型コロナウイルス感染症にかかる訳にもいきませんで。普段にもまして体調管理に気を使っておりました。
 おかげで、極めて軽い風邪を1度患ったくらいで済み、体調的には例年よりも楽に過ごせたのですけれど…。

 ということで、以下、今年唯一県外へ出たドライブの時のお話です。


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 やっぱり、春は桜ですよね。
 今年の春は、新型コロナウイルス感染症の問題もあって、「花見」どころではありませんでしたねえ。


 でも、やっぱり、桜は見たいじゃないですか。

春ごとに 花のさかりは ありなめど
       あひ見むことは 命なりけり

 春になると、柄にもなくこの古今集の歌のようなことを考えます。
 今年の桜は、今年しか見られませんからね。


 世間は、新型コロナウイルスの跳梁に対して引き籠もる日々ですな。
 「感染拡大を防ぐ」という大目的がある以上、煩わしいけれど、やむを得ない措置といったところでしょうか。

 当方も基本的に「不要不急の外出は控えている」のです。
 そもそも当方は引き籠もるのが得意ですから、普段の週末ならば、用事が無い限り一歩も家の外に出ないことがデフォルトです。
 月曜の朝、出勤途中のバスの中でニュースのチェックのついでに、活動量計のデータをスマホに吸い上げると、土日の歩数だけ綺麗に「0」になっていて我ながら苦笑します。

 そんなお外が嫌いな当方ですが、この時期だけは桜を見に出掛けることがあります。
 こんな御時世ですし、出掛けるのも面倒くさい気がしないでもないのですが、今年の春は今しかないので、やっぱり出掛けることにしました。


 当方のお気に入りは、名古屋市内ならば北区の「御用水街園」、市外ならば岐阜県海津市の「平田公園と大榑川(おおくれがわ)堤防桜並木(①)」、同じく海津市は「中江川堤の桜並木(②)」です。
 最近は、これに三重県木曽岬町の「鍋田川堤桜並木(③)」が加わりました。
 海津市の桜並木達は、養老山地の山々を背景に、広々とした風景も楽しめるので、特にお気に入り。

 ①→②→③と、早朝から出かけると3~4時間程の行程で、午前10時頃には帰宅できる、とても手頃なドライブコースになるのです。



 平日と変わらぬ午前5時少し前に起き、最低限の身支度をして車に乗り込みます。

 一日の内で一番好きな時間帯です。


 いつもならば、こんな時刻でも名古屋高速はそこそこ車が走っているのですが、今朝はガラガラ。自分の前にも後ろにも全く車が居ない光景を楽しみながら北へ向かいます。

 一宮ICで名神高速道路に乗り換えて、西へ。


 岐阜羽島ICで下道へ。
 走り慣れた道をちょいちょいと進んで長良川に架かる大藪橋を渡れば、ほんの少しで「大榑川堤防桜並木」のスタート地点です。
 

 資料によれば、この大榑川の桜並木は約7㎞に渡って、およそ1,000本の桜が植わっているそうです。




まだ木が若いようで、花のボリューム感は物足りないかも?

せっかくなので、バリバリに加工してみました。
曇り空じゃなければもっと良いのですが…。

 長く桜が楽しめるように、開花の時期が異なる2種類が植えられているそうですが、私は大体前半戦に見に来るので、未だ遅咲きの方を見たことがありません。
 この地方では有名な「お千代保稲荷」もすぐ近くですし、いずれ後半戦の桜も見に来ようかな。



 日もすっかり上りました。
 次の「中江川堤の桜並木」に向かいます。



 ここは、中江川の起点にある池ですね。
 バス釣りでも知られているところなので、早朝にもかかわらず釣り人をよく見ます。

 この中江川沿いには、約10km程桜が植えられていて、真っ直ぐな道を、淡々と南に下っていきます。
 目で眺めるには良いのですが、道と川の間に並んでいるので写真的には面白くないんですよね。
 花の規模と景色の加減で、毎年この辺りで写真を撮ってます。


 老木が多く、所々伐採されたりして、毎年少しずつ眺めが変わっていきます。
 あと、何回見に来るのかわかりませんが、どうなっていくのかしら。


 まだまだ南へ続くのですが、適当に切り上げて「鍋田川堤桜並木」へ向かいます。
 
 国営木曽三川公園の展望タワーが見えたら右折して、木曽川と長良川を隔てる堤防を南へ進みます。

 ここから先のガードレールの無い堤防道路は、ちょっと落ち着きませんね。私の車は軽1BOXなので、車線の幅に対して余裕がありますが…。普通車ならあまり走りたくない所です。


 高圧線鉄塔の下に見えるのは、「船頭平閘門(せんどうひらこうもん)」。
 明治時代に木曽三川の大改修を行ったときに作られた、木曽川と長良川を直接つなぐ「閘門」です。

 大改修までは、この辺りは2つの川の流路が網の目のように繋がっていて、地元の人の船が自由に行き来していたそうですが、川同士を整理して堤防で締め切った為に通行出来なくなってしまい大変不便になったことから作られました。

 これがないと、河口まで行かなければお隣の川に行けないのです。大変遠回りになってしまいます。


 時代は変わり、現在では両川を行き来する船は激減して、年間200回位の利用だそうです。
 一度実際に船で通ってみたいものだと、密かに企んでます。



 桜見物の最後は、「鍋田川堤の桜並木」。愛知県と三重県の境になる「鍋田川」の堤防沿いに植えられた桜並木です。


 交通量の多い道路の両側に植えられた桜並木なので、気をつけないと…。
 早朝だと混雑しないので良いのですが、光線の加減か今一つぱっとしないんですよね。
 ここの花を見るのならば、お昼頃、十分な光量の下で、満開の頃がよろしいかと。


 鍋田川沿いを下っていくと、国道23号線に出ます。左折して東の方へ進んでいけば家に帰れるので、素直にそうします。休日の早朝なら、空いてますからね。高速道路並みに流れます。


 お腹もすいたので、帰途、朝ご飯を。
 家に帰って、いつものようにトースト食べるのもつまらないので、どこかで食べていくことにしました。


 前は別のお店だった所が、立ち食いそば屋になっていました。さっぱりした物が食べたい気分だったので、そばを食べることに決定。

 少し寒かったので温かいかけそばでも悪くはないのですが、冷たいものを手繰りたいので「もりそば」にしました。
 出来上がりを待っている間に「舞茸の天ぷら」をメニューに発見。こういう立ち食いそば屋で「舞茸天」は珍しく思えたので、追加で注文。

 ん? 「さっぱりした物」ではなくなっちゃったような…。
 まあ、気分の問題ですから…。(^^;



 帰宅後、GPSロガーで記録したルートのデータを見ていたら、ちょうど100km走行した桜見物のドライブだったようです。
 狙った訳ではないのですが、ピタッとキリのいい数字になるのは、なんだか嬉しい気がします。


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 なお、朝ご飯を食べた立ち食いそば屋さんは愛知県内ということで、愛知県外では一歩も車から出ずに周回してきたことになります。


 結局、2020年に県外へ出たのは、このドライブの時だけでした。
 普段の年なら最低1回は出掛けている東京・立川のシネマシティにも、行けませんでしたねえ。

 来年は、どうなるのかしらねえ…。


2020年12月28日月曜日

普通に良かった 「ジョゼと虎と魚たち」


 楽しみにしていた、「ジョゼと魚と魚たち」を見てきました。
 今回は、そのお話です。

 ネタバレがあります。
 映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。

 あくまでも、私個人が、アニメ映画版「ジョゼと虎と魚たち」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。


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 見たい映画の封切り日なので、今日(12月25日)は1日休暇です。

 「映画見に行くから、休暇ぁ?」
 「世の中、舐めてんのか?」

 いいんです。昨日も会議で遅かったし。
 その会議で、また仕事が増えたし…。


 「宣伝もある程度はやっていたし、クリスマスの週末だし…」ということで、「カップルでいっぱいで、激混み」を想像していたのですが、それ程でもなかったですね。70%位の入りだったような気がします。
 平日の朝一番の回なら、これで十分かもしれませんが、告知から考えれば、もう少し欲しいかな。

 まあ、ここは名古屋ですからねえ。

名古屋駅前のシネコンの出口の掲示幕です。
お隣には以前の記事の「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の幕が。

記事を書いている時点では、まだDolby Cinema版の上映が継続中なのです。


 2回目に見た、いつものシネコンでは観客は20名くらい。
 うーん。まあ、平日の16時00分上映開始は、中途半端な時間だから…。
 今日この後の2回分で、バーンと観客が来てることを祈りたいです。



【「民の声は、神の声」】
 「修道院荘園(「アベイ農園」他いろんな訳題があります)」のラストでシャーロック・ホームズは、そう宣告しました。
 一般人民の、普通の声の中に、真理があるということですね(※)。
 私、「評論家よりも、コメンテーターよりも、映画を見終わった後のお客さんの何気ないおしゃべりにこそ、真の評価はある」のではないかと思っています。

 朝、名古屋駅前のシネコンで見終わって退場する時に、前の二人組のお喋りが断片的に聞こえました。
 それが、「普通に良かった」です。

 そう。普通に良かった。
 凄くいいかといわれると、そこまでではないような気もするけれど、普通に良かった。
 絵も声も音も、どれも十分で、普通に良かった。



【「私はこう捉えた」ということです】
 あらすじは、公式サイトなり、YouTube上の予告なりを見ていただくのが手っ取り早いでしょう。

 ○アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』公式サイト
 ○アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』ロングPV(YouTube)


 中盤~終盤にかけて、二度、ジョゼが恒夫の前から姿を消すところがあるのですが、そこが、少し説明(描写)不足な気がします。
 「想像しろ」「考えろ」ということなのかもしれませんが、それまでのジョゼの心象・心理的描写が少ないことからすると、ちょっと唐突で突き放された感じがするかな。


 恒夫のバイト先の店内で自分の服をピラっとさせて、「うーん」という表情をしているところ。
 あれは、ずっと守られた内側の世界にいる自分と、外側の世界で過ごしている今時の女子の服装と比べて、「なんか、冴えんな」と思ったのかな?

 撮影してきた魚の話で楽しそうに話す恒夫と舞の姿を見て、「自分には叶わないこと」をして、そのことで楽しげに話す2人(特に舞)に対して無意識の嫉妬をしてしまったのかもしれません。この時、既にジョゼは恒夫を意識していたのですから。

 「自分には出来ない」「自分には届かない」ことの事実を改めて知ってしまい、「理解者のようにも見える恒夫」から逃げ出したかったということなのでしょうか。

 ずっと抱えていた「自分には出来ないこと」への苛立ちが、その後に重大な場面をもたらす「健常者には分からん」のところで吐き出されるのかもしれません。



 自分が、自分で動けなくなって。
 自分がどれだけ願っても、叶わなくなることがあって。

 それを、恒夫が「『自分のこと』として理解した」時、本当に恒夫とジョゼの心が通じあったのだと思います。

 「あたい…幸せや」というシーンには、自分のせいで大変なことになったのに、それでも「退院の時には、迎えに来てほしい」と言ってくれた恒夫の想いに、自分には縁が無かったはずの「誰かを好きになる」「誰かに好きになってもらえる」こと ― 心が 想いが 通じたこと ― が感じられたことへの素直な気持ちがあるように思います。

 だからこそ、リハビリの効果も出て退院出来るようになり、失った夢を取り戻した恒夫に対して、「自分が居ては、恒夫の『これからへの飛翔』『夢の実現』の重りになって」しまうと思って、ジョゼは恒夫の前から姿を消したのかもしれませんね。


 独りだった閉じた世界に、「勇者」がやってきて、外へと連れ出し、繋がりを創ってくれた。
 そして、いつか、勇者とはこれからの時間を共に歩んでいく、かけがえのない存在同士になった。

 おばあさんの遺影が、エンディングロールで映るのは、「ホント、良かったな、クミ子」と言っているように思えます。



【これで十分だったんや】
 今回の作品には、2003年の実写版がある訳です。
 でも、その時には見たいとは思わなかった。
 理由は単純で「好みではなかったから」です。
 普段から書いているように、私は「ハッピーエンド至上主義」なので、薄暗い、幸せそうに思えない映画は見る気にはなれませんでした。


 普段ならば「自分の意見をまとめる前には、他人のものは見ない」のですが、今回、ふと検索でヒットした先で「うーん」と思わされるものを見てしまいました。

 「本来、この物語の根幹を成す『闇』から目を背けて、何が『ジョゼと虎と魚たち』なのか?」という論に、肯ける点はあるのですが、とはいえ、わざわざ後味の悪いものを見る必要はないと思うのです。

 以前、「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」をめぐる妄想記事の中で書きましたが、「物語は、要求に応じて書き換わる」のです。
 現在の顧客(=観客)が「きれいな純愛を求める」のならば、原作を再構築してそれに応えるのも「あり」だと思います。
 薄暗さの原因を排除して、精神的な純愛に昇華させるのも、「あり」だと思います。

 「換骨奪胎」といえなくもないですが、出来上がったものが良ければ、それでも十分だと思います。

 そういう点で、本作は、「田辺聖子の小説を『原作』とした」に過ぎないのです。
 そう捉えるべきでしょう。

 「キレイごとばかりの映画」といわれてもねえ。
 私は、「キレイごと」が見たいのですし。


 もっとも、製作者側が本作の原作を「青春恋愛小説の金字塔」と言ってしまえるセンスには、呆れるのですけれど。
 宣伝に必要とはいえ、これは、少なくとも「青春恋愛小説」の「金字塔」ではないだろうよ。
 アオハルは、もっと爽やかでなければ。


 こちらは、いつものシネコンでの掲示です。



【余談と戯言と】
 この作品も、文化庁の助成金あり。
 でも、こういうのならば、どんどん投入してくれても構いません。
 それに比べて、「パノラ…」、う、「きみは……」、あっ、頭が…………。
 やめよう。死人に重ねてとどめを刺すのは…。

 ところで、助成金は国からの支出ですから、いわゆる「国費」の投入ということになります。「国費」といえば「会計検査」。
 こういう助成金に対する会検は、どうやってやるんですかね?
 ムダなお金がなかったかって、どうやって判断するのかしら? それとも支給型育英資金のように、「出しっぱ」なんでしょうか? お仕事の関係もあって、少し気になります。


 エンドロールの後のシーンも含めて、よく出来てます。
 予定調和ですが、まあ、そういう伏線ですもんね。回収・回収っと。


 あと、上映終了後に、こういう画面が出ます。


 感想を投稿する所までちゃんと誘導するあたり、
話題性(口コミ)を得るために練り込まれてますねえ。


 当地では、新年早々の公開となる「声優夫婦の甘くない生活」(1月1日)、その後に公開になる「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画」(1月8日)と、個人的に興味を持っている作品と合わせて、チャンスがあればもう1回映画館でみたいと思っているのですが、さて、どうなりますか…。


 この前に見たのが「ニューヨーク 親切なロシア料理店」ということもあり、「薄暗い映画で1年終わるのもなあ…」と思っていたので、希望を感じさせる本作品で1年を締めくくれて「ほっ」としました。

 休暇取る価値は十分にあったと思います。
 よかった。

 
<以下は、戯言です>

 最初の「事件」の後、ジョゼ宅に招かれた際。
 晩ご飯をご馳走になる恒夫の傍らでジョゼが読んでいるのは、カバーを外した角川の文庫本。さすが角川書店、細かなところにも織り込んでくるわー。
 カバーが映画化の特別版なら、買う可能性は否定出来ないけど、どうなのかしら…。
 なお、Amazon限定で画像のダウンロード権がついたヤツを販売してるんですね。うーん。


 エンドロールで宇野亜喜良さんのお名前が出て、ちょっとびっくり。
 最近だと、NHK「みんなのうた」において、「誰かがサズを弾いていた」の映像で造形とイラストレーションを担当されていたのを強く覚えています。
 「イラストか工芸での協力なのかな?」と思ったのですが、どうやら書影協力っぽいですね。サガンの訳書の表紙イラストの関係でしょうか。

 仕方なく応じた人魚姫の読み聞かせが終わった後、ジョゼがホワイトボードに描いていた「人魚の住むお城」の絵も、なんとなく似ていなくもないように感じましたが…。


 Evan Callの担当した音楽はとても良かったのですが、図書館でのクライマックス(「心の翼」の絵本朗読)のところで流れた曲は、やや「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」での曲と似ていたような気もしないでもありません。
 両作品の公開時期が近いことと、後者を20回見て記憶に焼き付いているからそう思うのかもしれませんけれど。


 いつも「月の形(月齢)と時刻表現」にこだわって見ていますが、本作は月齢も時刻もぴったりで、演出的に素晴らしいと思います。

 満月が下界を明るく照らすのは、ほぼ真夜中のこと。

 だから、恒夫とジョゼが、病室の窓辺・自室の窓辺、月明かりの下で落ち着かない気持ちでいるのは、真夜中の雰囲気にぴったり合う。

 蕪村の俳句「月天心貧しき町を通りけり」や、小川未明の童話「月とあざらし」を思い出します。


 出てくる車の「絵」が微妙に古いのよね。
 あと、同じ車がやたら出る。例えばワゴンRとか、初代Fitとか。
 NCV(=9代目)カローラがちょこちょこ出るのには驚いた。9代目は、もう15年以上前の車だから、今ではあまり見かけなくなりつつあるのだけれど…。
 恒夫を撥ねた車と退院の時のタクシーが同じトヨタ・カムリというのは、いただけない。
 もう少し、そこら辺は工夫してほしいところ。リアリティに差が出るから。

 もっとも、「HELLO WORLD」の時の「ist大量発生」に比べれば、かわいいものですけれど。


 リアリティといえば、ジョゼのラジカセの液晶。
 ケータイやスマホのアンテナ記号は、ラジカセには無いのでは?
 しかも「バリ3」。周波数も表示されてないのに「バリ3」はないでしょ。
 プロップ設定の方、しっかりしてくださいな。


 電車から見えた飛行機は、神戸空港だったのか、伊丹空港だったのか?
 
 箕面市立中央図書館は聖地になるのかな?

 「清原果耶の声を愛でる映画」でもあるのかもしれん。
 来年の朝ドラは見る。うん。うん?
 まあ、「来たる者は日に以て親し」ということで…。


2020年12月27日日曜日

現実の世界は… 「ニューヨーク 親切なロシア料理店」



 気になっていた洋画の中の1本を見てきました。

時間的に余裕が無かったので、晩ご飯は映画の後。
内容が内容なので、ご飯がおいしく感じられませんでした…。


 予告編の段階から重苦しさは感じていたのですが、登場人物の「良さげな老紳士」が気になって…。実見に及んだわけです。
 「味のあるおじさん」が好きですからね。

 「もの凄くハッピーでハートウォーミングな物語」とは思っていませんでしたが、現物の重さは想像以上でした。

 今回は、そんな感想です。


人物写真の右側、上から3段目が「老紳士」です


【あらすじは公式サイト他で御確認を】
 若くして結婚した主人公が、ある種の異常者である配偶者からDVを受け、それからの脱出を図るのが本筋。
 それと同時並行で描かれる様々な人達の物語が、ある一点で交わり、そこから話が動いていきます。

 主人公以外の人達は、身内を犯罪絡みで無くした男(=マーク)、発達障害の男(=ジェフ)、1人で頑張っているものの思うようには物事が進まずに限界に達しつつある女(=アリス)が描かれています。

 そうして、彼らをそっと包み込むのが、予告編で気になっていた老紳士がオーナーであり、邦題に含まれている「ロシア料理店」ということになります。
 そのロシア料理店にしても曰く付きで、決して天国ではない訳ですが、ある種達観した老紳士の心のお蔭か、世間からの緩衝地帯になっているのですね。


【私にはわからないけれど】
 私、物心ついてから以降、誰かを能動的に殴ったりしたことがありません。
 なものですから、暴力をふるう快感というのが理解できないのです。
 なので、一見正常そうな主人公の配偶者の暴力嗜好は理解できないのです。

 でも、ある一線を超えた瞬間に「スイッチが入る人」は、この世には結構いて、それは割とよく見ているので、「ああ、居るよね、こういう人」とは痛感します。

 頭は良さそうな人なので、きっと合理的に暴力をふるうことが出来るであろう警察官になっているのでしょう。
 でも、これがまた、主人公親子を追い詰めるのに効果的なのです。「他の職業ならば、こんなにスピーディかつ効果的に出来ないよな」と思います。


【愛はなかった】
 主人公は、きっと自分への暴力だけならば、引き続き我慢していたのでしょう。でも、息子たちへの暴力には耐えられず、脱出を決めました。
 逃亡生活の最中、長男に配偶者との出会いとその後の生活を語るのですが、「生け贄になったの?」としか思えません。
 そんな状態では、決して愛情のある生活ではなかったはず。それ故、ロシア料理店でマークと正式に出会って、これまでにはなかった「愛情」を感じたのでしょう。

 他の2人(ジェフ/アリス)にしても、「愛情」とは程遠い状況です。
 「現代の病理」と言ってしまうとそこまでなのかもしれませんが、乾いて繋がりの希薄な現代社会の縮図を見せつけられているようで、いたたまれなさでいっぱいになります。


【イメージ】
 ロシア料理店の裏側をみると、「イメージ」の力を考えてしまいます。
 老紳士こと「ティモフェイ」は、実はニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。つまり、バリバリの「ニューヨーカー」なわけです。 
 でも、ロシアからの移住者の血統だからということで、ロシア人らしさを求められる。

 ロシアにゆかりの無さそうなキッチンスタッフ達の作るロシア風の料理の価値は、一体いかほどなのか? そこがわかっているからこそ「缶詰開けるだけだからキャビアは間違いがない」という、ティモフェイの自嘲的なセリフが、ピリッと利くのだと思います。

 私たちも、普通に「こういう風だよね」という、物事に対する先入観を持っている訳ですが、「それ、本当なの?」と思うことも大切なのだと思います。
 公平ではない、決めつけなのかもしれませんからね。


【とても淡い救い】
 繋がった登場人物達。
 そして、話は動いて、物語は決着します。
 「まあ、そうだろうね」と思える展開があって、主人公親子は配偶者と離別することが出来ました。

 最終盤に、「長男の想いもあって、今すぐに大きな展開は作り出せないけれど、時間をかけてマークとの関係を育んでいきたい」という、主人公の想いが込められた贈り物が登場します。
 それを受け取った時のマークの抑制された感情表現が、派手ではないからこその堅い未来を想像させて良かった。
 「それだけ?」と思えてしまうのですが、とても淡いけれど、主人公達にとっての大きな救いなのだとは思います。


 ジェフも、ティモフェイとマークの想いから、ロシア料理店のドアマンとして雇われます。これも、派手な形ではないのですが、理解してくれる人に見守られる暖かなこれからを感じます。


 アリスには、少し変わった、でも正義感のあるパートナーが出来たし、営んでいた事業もバックがついてうまく回るようになって、いい方向に進んでいることが描かれます。

 決して「もの凄くハッピー」ではないのですが、淡いけれど暖かい救いがある物語。
 たぶん、現実も、そんなものですから。
 納得しました。


【見ているのはつらい】
 最後には幾らかの希望があって、一晩経って納得は出来たのですけれど、見ている間はとてもつらかったです。
 「普通のコース」を少しでも外れた時に、人に何が起こるか。簡単に追い詰められてしまう有り様。そして、畳み掛ける事態。

 主人公達には、ロシア料理店があり、マークがいました。そして、マークやアリスを包み込むティモフェイや弁護士ジョン・ピーターがいた。だから、何とかなった。でも、彼らがいなかったら?


 DVは私たちの暮らすこの国でも他人事ではないし、一度道を踏み外すと救いの薄い状況だってさほど変わらない。

 新型コロナウイルス禍で、こんなにも脆く「日常」が崩れたことを考えれば、決してスクリーンの向こうの作り事ではないと思うのです。

 そう思うからか、見ていてとてもつらかった。
 シアターを出て、車で家に帰る間も、ずっと気分が重かったです。



【出来の良さ故に】
 映画の冒頭、主人公達がまだ眠っている配偶者を残して家から出ていくシーン。そこでメインのキャスト名などがテロップで出るのですが、美しく洗練されていたと思います。
 場所・舞台(アニメ的には「背景」って表現する要素)の良さ、画面構成の良さが合わさって、「絵」としてとても良くできていると思います


 それに、出てくる場所(ロケ地)が素敵で、「これならば『ニューヨーク市のフイルムコミッション』が協力した価値があるわ」と思えました。過日の「君は彼方」と、根本的に異なるところですね。

 逆に、美しくセンスが良いからこそ、救いのなさが重くなるのかもしれません。


 ただですねえ、ストーリーに劇的な山場が有る訳ではなく、主人公たちも家出の最初の頃の空元気がなくなり、淡々と重い話が続いていきます。
 「面白い?」と問われれば、「うーん、それ程でも…。お勧めはしないかな」と答える作品です。そこら辺が、海外における低評価につながっているのかもしれませんね。