とある宿場町へ行ってきた。
風情のある景観をパシャパシャと撮影した。
町の様子はストリートビューでも見られるけれど、今日自分が現地で見たものは、自分で撮影した写真でしか再現出来ないから、とにかく写す。
本当は、今日ここへやって来るつもりは無かったから、手元にあるのはスマホ。だから、写真はスマホで撮る。
最近は、「Pixel 6」をメインで使っている。
パッと見綺麗に撮影できるし、見せたくないものが写り込んだ時にささっと無かったことに出来る「消しゴムマジック」が、実に簡単・便利だから。
なので、今日もPixel 6で撮影した。
帰って来て、Googleフォトにアップロードされている写真を見ていて、なんとなく違和感を覚えた。
冒頭に掲げた全景写真ならば、それ程違和感は無い。
けれど、写っている物を大きく見たくって拡大していくと…。
とろけてる。
画像の違いがはっきりと分かるのは、例えばこの部分。
横断歩道標識の左端部と右端部とでは形状が異なっている。
左端部は地の青と枠の白がくっきりと分かれるが、右端部では青が枠の白に融け込みかかっていて、青と背景の暗部とも融けかかっている。
標識から右は、遠い背景になる山の木々等も、もう、メロメロに融けている。
もちろん、「『写真』は『真を写し』ている」だなんて思ってはいないけれど、これは、ちょっと「写真」じゃない気がする。
「便利だから」「パッと見、綺麗だから」でも良いんだけれど、さすがにこれはいただけない。
デジカメやスマホの写真データをパソコンなどで扱うと、「*.jpg」等のようにファイル名が表示される。いわゆる「JPEG形式」という画像ファイルだ。
最終生成物としてはJPEG形式の画像データになるけれど、スマホ・デジカメが撮影した瞬間は「RAW形式」という、いわば「素の画像データ」を内部的に作成する。
でも、素のデータは色彩・輪郭・明暗等が調整されていないし、容量も大きいので、スマホなりデジカメなりの中でRAW形式からJPEG形式へと変換される。
そこでも、そもそも変換処理の際のアルゴリズムに伴う画像細部の変化、それに、メーカーの考え方による多少の味付けがなされるが、それについては否定する気はない。
しかし、今回のような、機械学習を用いた「コンピュテーショナルフォトグラフィー」の一部が、行き過ぎた処理を行うのは否定したい。
撮影後に意識して画像処理を掛けるのは撮影者の意図の反映だけれど、自動的に行き過ぎた画像処理をされたデータしか残らないのは、その時の正確な記録が残せなくなってしまう。
現在愛用中のPixel6では、設定で「自動処理後の画像(=JPEG形式)」と「処理を行なわない素のデータ(=RAW形式)」を同時に残すことも出来るので、データ容量は食うけれど、今後は撮影対象に合わせて適宜設定していくことにしよう。
繰り返しになるけれど、「撮影した時点の、リアルタイムの光景は、その時しか得られない」から。取り返しがつかない。
そういえば、とろけた部分を見ていて、ふと思い出した。
こりゃ、あれだ、ソニーのコンパクトデジタルカメラ「サイバーショット」シリーズに搭載されていた「ピクチャーエフェクト」の「イラスト調」だな。
昔、自分も使ってたから、よく分かる…。
例えば、2014年1月26日の記事「あとは、西住殿だけなんだけどな〜。」とか。
10年近くも前になるのか…。
なので、同機能が、今も搭載されているのかは知りませんがね。
ところで、今回の記事で掲載した写真達、「横断歩道標識のヤツ」以外はすべて容量節約とレイアウト上の都合等によりソフトウェア(アプリ)を使って縮小・画像形式の変換等をしている。
だから、「拡大して見る」なんてことをしなければ、「パッと見でキレイ」なら、それで良いのだろうな。