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2020年12月15日火曜日

悪くはなかったけど 「海辺のエトランゼ」


 今年も残り2週間になりました。
 「今年の話は、今年の内に」シリーズ、ということで、「書いてはみたものの、なんとなくタイミングを逃してお蔵入りになっていた記事」を取り上げていきたいと思います。

 今回は、映画をみた感想の中からの記事です。

 なお、鑑賞当日は動揺していたらしく、写真を撮っていませんでした。ということで、今回は写真無しです。味気ない記事ですみません。
 年末休みに入ったら、パンフの写真でも追加するかも。

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【「これではなかった」と思って…】
 絵柄が自分好みだったので…。
 てっきり男女がキャッキャウフフする奴だとばかり思っていたんだけれど、現物はさにあらず。


 うん、BLでした。
 チケット買ってから公式サイトを見て、そのことを知りました。
 「うわー、キャンセルしてぇー」と思ったのですが、決済してしまえば、不可ですからねえ。
 「1800円を無駄にするのもいかがなものか」と思ったので、ちゃんと観に行きましたよ。

 やりくりの都合なんでしょうけれど、かなり大きなシアターでの上映だったので、「お客さんがいっぱい居たら、やだわー」と思っていたのですが、幸い一桁の観客だったようでした。それはそれで、興行的には逆に心配になりますけれど。

 「BLアニメ映画を、おっちゃんが1人で観に来ている」のは、あまり美しくないですからね。見られたくはないです。たとえ知人が現場に居なかったとしてもね。


【印象と、私的な考察と】
 舞台は沖縄、座間味島。
 座間味、いったことないんだよね。
 離島は、専ら石垣島と波照間島専門だったからなあ。
 主人公達の関係性の転換点(?)として、那覇でのエピソードがあるのですが、桜坂劇場とか、沖縄に通っていた時期を思い出して懐かしかったです。


 背景は、抜群に美しかった。
 ただ、個人的には月(月齢)の描写が少し気になりましたが。
 まあ、大抵の作品で相応しくない扱い方されてるからなあ。
 そこさえ直せば、更に説得力も強まり、物語に深みが出るのに。


 ところで、自分、百合は比較的に好きです。
 ライトなコミックは、多少嗜みました。
 小説もなんぼか読みました。
 映画も若干は見ています。

 それを踏まえて、考え込みました。「百合とBLに、いかほどの差があるのだろうか?」、と。
 異性愛ではないという点ではイコールなのです。でも、BLは敬遠したい。そう思うのは、何故なのか。

 詰まるところ、「自分が男で、物語の登場人物たちと同性だから」ということに尽きるのだと思います。
 同性(男性)だから、「そんなのないよ。ありえない!」と思ってしまうのだと。
 わかっているからこそ、あり得ないと考えてしまうのではないか。

 「中身が好き」といえば、カッコ良く聞こえてしまいますが、身体・性別関係なしで「個性」「その人」に惚れたということになるのでしょうか。
 そうなれば、「身体」「性別」は単なる事実でしかなく、それらは簡単に超越されてしまうと。

 それは、わかるのですが…。
 まだまだ、人間力の修行が足らないようです。


 作中、主人公の許婚として「桜子」という美人さんが登場します。BLである訳ですから主人公とは添い遂げられず、悲しく退場することになります。
 あまりにも可憐なので、救済が欲しくなるのですが、なんでも原作シリーズでは、そちらも描かれそうなのですね。うーん、絵柄は抜群に好みだし…。
 うーむ。「心が洗われるBL」かぁ~。(*´Д`*)


【「PG12」ね】
 ところで、この映画「PG12」なんですよ。「12才未満の観賞には、保護者の指導・監督が必要」ってやつ。
 絵柄から見てラブラブ系だと思ったので、「凄い暴力描写や性的な場面でもあるのかしらん? なんでかねえ? それら以外に、よほど酷い何かがあるのかなぁ」と思っていたのですが、うーん、主人公達(男×男)の性行為のシーンがあったんですね。イメージ的なのではなく、割と生々しいやつでした。
 「うん、そりゃ、『PG-12だわ』」と、即、納得しました。


 後の参照等を考えて、映画を観た時は概ねパンフレットを買っています。
 ですが、本作は物販コーナーで店員さんに告げるのが、ちと躊躇われました。



2020年12月14日月曜日

妄想を追加 その4 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」


 妄想を追加する記事、その4。
 これで、ひとまず妄想を綴る記事は最後です。

 いろんなところで、妄想の輪を回しております。
 もしかすると内容がダブってしまっているかもしれませんが、そこは、ばらばらの日記メモからまとめる宿命ということで御寛恕くださいますように。

 ネタバレがあります。
 映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。

 あくまでも、私個人が、「劇場版」と「テレビシリーズ」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。


 今回は雑多な内容なので、まとまりがありません。
 それなのに、最後なので長文です。
 ごめんなさい。

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【今までとは違う】
 少佐に抱き止められて、少し安堵したような表情をする幼いヴァイオレット。
 きっと、これまでとは違う何かを感じたはず。
 純粋に抱きしめてくれた人は、居なかったのかもしれませんね。

 そして、それが、「今」につながるのですね。




【二度目の「はい」】
 ブーゲンビリア家の船の上でのやり取り。
 二度目の「はい」のところで、ヴァイオレットの視線が下を向くんですよね。
 「あれは、なんでかな?」と思っていたのですが、大佐の言葉への同意があるのかなと思うようになりました。

 大佐の「話したいことも」への同意なのでしょう。「最後の話の続きがしたいです」と繋がっている自分自身の「話したい」という思いと、大佐の「話したい」という思いに、同じものを感じ取ったのではないでしょうか。

(これは、一度目の「はい」のところですね)

 だから、一度目の時とは違い、「頷いた」というわけではないのでしょうが、顔が下を向いたのかなと思います。
 表情も、一度目とはきっと異なっていると思います。

 一度目の「はい」は、どちらかというと大佐の悔やみの言葉への対応だから、そこに感情は込められない。相槌としての「はい」かな。



【唇】
 「この次にリュカへの手紙を書こう」と約束した時の発作で、ユリスの容態は決定的になります。
 その後の看護師さんとの立ち話の時にも「あとはいつになるかという、時間の問題だ」と言われたのだと思います。

 その発作以降、ユリスの唇にはカサカサに荒れた様子を示す毛羽が描かれますね。あのあたり、クドい説明はしない代わりに、わかる人にはわかる描写だと思います。



【先生はお元気ですか?】
 ホッジンズ社長をカマキリで驚かせた少年達が、門の所でヴァイオレットとやり取りをする場面。


(まさに、この辺りからの場面です)

 「前足が」~「右の目も」~「先生はお元気ですか?」に続く、涙を浮かべたヴァイオレットの表情。

 ここは、「生きておられた」ということを、心の底から実感するところ。
 ほっとしたとかどうとかではなく、心の底からの「よかった」という想いの現れだと思います。「二度と会えないかもしれない」と思っていた人が生きていてくれたことの、なんとありがたいことか…。

 大喜びするよりも、心にしみる表現だと思います。


 ここでの想いは、灯台の最後のシーンである「私には、もう、それだけで十分です」に繋がると思ってます。



【皆さんの先生なのですか?】
 「皆さんの先生なのですか?」というところは、もしかすると、「先生」という仕事が、ギルベルトに本当に向いているもの(=天職)だと思っているところなのかもしれません。
 かつて自分を教え導いてくれたことと、重ね合わせているのかな、と。

 郵便社を辞めて島へ渡った後、ヴァイオレットは郵便局の業務を受け継ぎ、ギルベルトは引き続き先生を続けたのでしょう。

 町の郵便局の庭木と、学校の門に、元はヴァイオレットの物だったであろうリボンが結ばれているのを見ると、2人のその後に思いが少しだけ及びます。



【歳月と共に】
 デイジーがエカルテ島を訪ねた際の1カット。
 少佐の人力ロープウェイが背景に見えてるんですね。

 撤去された様子は無いので、今でも使われているのでしょうか。
 もう、ヴァイオレット達は世を去っているのでしょうけれど。

 時を経て、風景の中に溶け込んでいるのですね。

 2人にも、時の流れと共に、いろんなその後の物語があったのでしょうね。



【すまなかった……。さようなら…。】
 ヴァイオレットからの手紙を読んだギルベルトへ言葉をかけるディートフリート。
 その回想の中の優しい微笑みが、兄の受け取ったギルベルトの真の姿なのでしょうね。

 嫌な(鼻持ちならない)態度をとっている自分にも、フランクに接した心優しきギルベルトへの謝罪。

 その上で、罪滅ぼしではないんだけれど、これまでギルベルトが甘んじて受けていてくれていたことへの恩返しということなのかな。

 ユリスがシオンに真意を伝えたように、ディートフリートも、真意を伝えて、清算したということなのかな。



【「想いが届いた」ということ】
 浜辺での告白。
 ヴァイオレットを抱きしめたギルベルトの掌から、ギルベルトに宛てたヴァイオレットの最後の手紙が離れ空へと舞い上がっていきます。
 その後、テレビシリーズ第1話で包帯に包まれて書いていたヴァイオレットの最初の手紙も、舞い上がり飛び立ちます。

 月光の下、2通の手紙は1つになって、高く高く舞い続ける。

 未だ、「想い」を、「想いを伝える」ということを知らなかったヴァイオレットが、それでも「少佐に、何か伝えなくては」と一生懸命に書いた「状況報告」。
 そして、「少佐を愛しています」と自分の心を綴った「手紙」。

 その2つが最後に1つになったということは、ヴァイオレットがずっと抱いていたギルベルトへの想いが、形になって、相手に伝わりきったということを表しているのでしょう。



【素直な気持ち・本当の想い】
 素直な気持ちを伝えられないのは、ずっと見てきたデイジーも同じでした。
 ヴァイオレットの生き様を辿って、デイジーにも「想いを伝えること」が届いたのでしょうね。

 「あいしてる」
 たった5文字なのです。
 けれど、その5文字には、相手への様々な想いが込められるのですね。

 慈しみ・愛しさ・喜び・感謝…。

 相手を思う心を込める言葉。
 大切にしたいですね。


2020年12月13日日曜日

妄想を追加 その3 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」


 妄想を追加する記事、その3です。
 熱く熱く、妄想の輪を回しております。
 もしかすると内容がダブってしまっているかもしれませんが、そこは、ばらばらの日記メモからまとめる宿命ということで御寛恕くださいますように。

 ネタバレがあります。
 映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。

 あくまでも、私個人が、「劇場版」と「テレビシリーズ」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。


 今回は「表情」についてのメモを集めました。

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【表情は、声に出るから】
 ヨットでの、ディートフリート大佐の「出るか?」には、それまでと違う優しい響きがあります。
 そして、それ以降も、優しくなっていますね。「大丈夫か?」だなんて、テレビシリーズの頃では考えられませんから。

 そもそも、意向を問う「~か?」という言葉遣いを、「ただの武器だ」と思っていた相手には使わなかったでしょうから。

 少佐遺愛の品物に、愛情の籠もった視線を向け、優しい表情をするヴァイオレットを見て、ディートフリートも、改めて「本当に『心』がわかるようになったんだな」「ギルベルトへの想いは本物なんだな」と思った(認識した)んじゃないかな。


 態度と言葉遣いとの関係については、掛かってきたドールへの業務依頼の電話への対応について、アイリスを注意した時のカトレアさんの「表情は声に出る」を思い出しました。


 ところで、個人的には、あのヨットの構造には少しだけ疑問点があるのです。
 キャビンから出た甲板上に舵輪があるのですが、「あの、舵輪の取り付けられている方向が前後逆なのではないか」と。
 普通は、船首を向いて舵輪を操作するので、開放側は船尾側に来るのではないかと思うのですけれど。

 それとも、現代世界のヨットとは仕組みが違うのかしら?


【「はっ」とした表情】
 門の前、ホッジンズから「ここで待っててくれるかな」と言われるシーン。

 「君は構わなくても、あいつがどういう状況なのか分からない」といわれて、「はっ」とした表情になります。ここは、舞い上がっていた、ヴァイオレットが相手のことを想像して「ああ、そうだ」と気づくところ。

 ギルベルト少佐の家の玄関先での、「少佐の気持ちが理解できるのです」に説得力を与える1コマだと思います。

(これは、「溜め息をつく」直前の1コマかな?)




【表情を描かないシーン、結構ありますよね】
 病室での「すべて聞いた話です」の時、ヴァイオレットはどんな表情をしていたんですかね?
 その表情から何かが伝わったからこそ、その後、ユリスはリュカ君への秘めた想いを吐露したのだと思うのですが。


 逆に、1コマで想像力を刺激するところもありますね。

 例えば、「そのお気持ちを手紙にいたします」~ユリスの発作~「ごめん」~「いいえ」の一連の流れ。
 ここでは、もう、あまり残された時間は無いことを感じ取っているのでしょうね。
 「いいえ」の時のヴァイオレットの表情には、逝く者への「いたわり」があるなと、感じました。
 このあたり、テレビシリーズ第11話を思い出します。



【ここの表情・仕草の解釈にはこだわりたい】
 人力ロープウェイの初仕事と、郵便のおじさんとお姉さんの場面。

 カマキリの少年の「先生が作ったんだよ。すごいでしょ」のところで、上の駅の所をチラッとヴァイオレットが見やるのだけれど、あの表情はどんななんでしょうね。

 片目・片腕を失っても、なお、「島の人のために」と行動するギルベルトの心の優しさ・責任感を思ったのでしょうか?
 私は、そういう表情かなと思うのですが。

 ギルベルトの「責任感」は、その後の、島の老人の「あんただけが背負うことはない」という言葉にも繋がっているんじゃないかな。

 以前の記事でも書いたように、「さようなら」は、そのあとの表情・仕草に込められていると読み解くから、やっぱり「ギルベルトの姿勢」に向けた表情だと思ってます。


 
【指切りと表情】
 最後の指切り。
 ヴァイオレットの安心した表情を見ると、やっとたどり着いたことが、よくわかりますよね。
 これまでに見せたことのない、優しい表情ですね。

 ギルベルトも、これまでの、どこかで我慢しているような、作ったような表情ではないですよね。ヴァイオレットへの愛情に満ちた、優しい表情です。

 「よかったね」という思いと、「これからの、2人の未来への希望」を感じ取れる、素敵なラストシーンだと思います。