またしても予告編詐欺に引っかかったような気がしないでもないのですが…。
先週末にいつものシネコンへ出かけた際に見た予告編が気になったので見て来ました。
今日(12月4日)封切りの、「ノッティングヒルの洋菓子店」です。
「ノッティングヒルの」という惹句で思い出すのは、「ノッティングヒルの恋人(1999年)」でしょうか。私は、ちょろっとしか見ていませんけれど。
まだ若かったので、なんだか「古本屋に、そんな世界的美人女優が来て、店主と恋に落ちる訳ねえやんけ」と思って、興味を示さなかったんですよね。
本作品の原題は「Love Sarah」ですが、これでは日本人への訴求力が無さ過ぎるということで、「ノッティングヒルの洋菓子店」ということになったのでしょうね。
現地の人気デリ・カフェである「Ottolenghi(『オットレンギ』と読むそうで…)」全面協力ということになっている訳ですが、エンドロールを見ていると「Ottolenghi Notting Hill(=ノッティングヒル店)」と出てくるので、そこまで広く捉えれば「ノッティングヒルの洋菓子店」という邦題もあながち根拠なしという訳ではないと言えますね…。
【中身はどうなのよ?】
でも、ですね。
「ノッティングヒルの」とつけても、元々の中身が伴っていなければ、客の入りには繋がらないと思うんですよね。
「かつて製菓専門学校で共に学んだサラとイザベラ。サラはオットレンギの弟子として製菓の腕を磨き、イザベラは経営面のエキスパートとなるべく経営コンサルタントになります。
紆余曲折は有るものの、2人の夢であったベーカリー(パン屋というよりは、現在の日本における「洋菓子店」)の開業が現実になってきました。
ところが、サラは不慮の事故で亡くなってしまい、ベーカリーの開業も頓挫ということに…。
その後、サラの娘でバレリーナを目指すクラリッサの熱意もあり、サラの母でありクラリッサの祖母であるミミ、サラ・イザベラとは製菓専門学校の同級生で、かつてサラとも交際していた訳ありのミシュラン二つ星のパティシエであるマシューも加わって、ベーカリーを開業する事に。
同業者の多い立地ということもあり、開業後は鳴かず飛ばずの状態のお店。
「特色がなければダメだ」と言われていた時に、ミミがあるアイデアを思いつきます。
そうして、生まれ変わった店は、思わぬ来客と展開を呼び込んで……」
というのが大まかなあらすじなのですが…。
予告編は、良いところばかりを抽出して、作ってあるので、上記のあらすじが何倍にも膨らんで「これは、面白そう」と思うわけです。「感動の結末かもしれん」ってね。
そうして、今朝、見にきたのです。
ところがですね、最初から最後まで、淡白だったのです。
感情が高まるところが余りないのです。
「いや、それ、大問題でしょ?」ということも、「そこ、もうちょっと教えて下さいよ」ということも、およそ大抵のことが淡々と処理されていくのです。
「人生、そんなもんでしょ?」と言われれば、反論の余地はありませんが…。
でも、お客は「ドラマ」を見に来ている訳で、もう少し感情を動かしてくれないと、納得出来ないと思うんですよね。
もう少し、作りようがあるのでは?
本来は、登場人物達全員が何らかの喪失感を持っていて、それらの再生の物語だと思うのですけれど、淡白過ぎてどうにもこうにもならないのです。
作りようによっては、何とでも熱く出来るけど、そうはなっていないんですよね。
告知チラシ・パネルの
悲しみはスパイス。喜びは隠し味。
あなたの想い出、お菓子にします。
は、美化し過ぎでしょ。
【結局、サラって何だったの?】
「ベーカリーをやるのは、サラの夢」だとかなんとかいわれ、お店の名前にも付けられた「サラ」。
お店が動き出し、みんなの関係が落ち着いたところで、一度だけサラとおぼしき女性がお店のドアのガラスに映るシーンがあります。
微笑んでいるようなので、きっと「よかった」とでも思ってくれていることを表現しているとは思うのです。
とは思うのですが、劇中、具体的にサラのことが語られることはありません。
関係者は表面的には納得しているようですが、一皮めくれば、本当にどう思っているのかは謎です。
クラリッサが「ママの夢を叶える」というけれど、そこまで「サラとクラリッサの関係」が深かったようには見えません。単に、居場所を無くしたから、屁理屈を付けたような気もします。
ミミは、店のお向かいの発明家とのロマンスにハマって行っていて、サラのことが、どれだけ現在の意識にあるのかよくわかりません。恩讐を越えた位置にあるのかもしれませんが。
イザベラは、「サラの夢だったから」というものの、乗っ取ったような感じ。日々を自身のエピソードで上書きして、サラの痕跡を薄れさせているだけ。
サラと付き合っていたマシューは、結局イザベラが本命だったようで、よりにもよって「Love Sarah」の店内でイチャツキやがりますしね。
ミミとサラの間のエピソードも、すごく薄い。「ええ? それだけ?」と言いたくなります。
「慕われているようだけど、実際のところ普通の扱い以下のサラって、一体なんなの?」と思ってしまいます。
こういった、根幹の話題なはずなのに「薄い」ということが、積み重なって「淡白過ぎる」につながり、「結局、なんなの?」となり、空気のような存在感の映画になり、すぐに忘れ去られることになるのでしょうね。
だって、記憶に残らないんだもの。
【私なら許せんが】
話を動かすお客さんとして、珍しく日本人が登場します。
濃いメイクもあって、一瞬「中国人?」と思ったのですが、エンドロールでみると、ちゃんと日本人の女優さんでした。
聞いたこと無いけど、イギリスでがんばっている方なのかな。
それにしても、曲がりなりにも、イギリスである程度のレベルのフードライターとして働いている日本人からみて、あの得体の知れない「抹茶ミルクレープケーキ(?)」は許せるものなのでしょうか?
私なら、若干の郷愁は感じるものの「パチモンに払う金はねえんだよ」とキレてしまうだろうな。きっと。
あれを、会社のミーティングに出そうとした女性日本人フードライターの気が知れん。
【一定の需要はあるものね】
いつものシネコンでは、
「ニューヨーク 親切なロシア料理店」
「声優夫婦の甘くない生活」
「43年後のアイ・ラヴ・ユー」
と、この系統と思われる洋画の公開があるのですが、どうなんでしょうかねえ?
「予告編詐欺」を恐れつつも、見に行ける作品は行きたいなと思ってはいるのですが。
そうそう、気になると言えば「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画」も気になるなあ…。
インド映画って、踊る系のも嫌いじゃないし、ネタ系のも悪くはないです。シリアス系のヤツは興味深いですよね。日本での映画「はやぶさ/HAYABUSA」みたいなやつですよね。どうなのかな?
実話・実録系の、それも科学ジャンルの映画はコケそうで手が出ないとは思いますけれど、日本にも火星探査機「のぞみ」の物語があるのですよね。でも、あれは、悲しい失敗の記録だからなあ。