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2021年12月30日木曜日

生まれかわる。歩き出す物語 「フラ・フラダンス」

 昨日に続いては、「フラ・フラダンス」の感想を。

 本文の中でも書いてますが、この作品の封切りも12月3日で、「ARIA the BENEDIZIONE」と同じ日でしたね。作品の伝えたいことを考え込んでいる内に、すっかり時間が流れてしまいました。
 でも、東北地方が好きな当方にとっては、何度も見て、考え込みたくなるような作品でした。

 考え込んでいる分、今回の記事は長めです。


 本作も、「ARIA the BENEDIZIONE」と同様にもう少しだけ上映期間があります。
 上映回数は限られていると思いますが、まだの方はこの年末年始に映画館の大きなスクリーンで是非御覧ください。


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 「ARIA the BENEDIZIONE」の封切り日は、「フラ・フラダンス」の封切り日でもあります。
 朝イチの「ARIA」に続けて見てきました。

いつも以上に無理やり処理したので、正しい色・大きさではありません

 
【初見だけではダメなのですよ】
 初見では「普通だなあ。いわゆる『お仕事系アニメ』みたいな『熱さ』も無いしなあ。控え目なんだよなあ」と思っていました。
 「2回目、どうしたものかな」とも思ってました。

 でも、なんとなく切り捨てがたい気持ちがあって、「ARIA the BENEDIZIONEを見に行くのなら、ついでに見るかな」と思い、2回目を見ました。

 見てみると「相変わらず淡白だよなあ」とは思うのですが、でも、見方が少し変わったような気がして。
 しばらくの間、ちょっとした時間に「物語」について考えていました。考えて、もう一度見てを繰り返して、自分としての答えを得たような気がしました。

 とはいえ、私のように気になってリピートする人ばかりではないはずですから、再見しないとよく伝わらないのではダメだとは思うんですけどね。
 でも、インパクトが強いということは結局「磨り減る物語」になってしまうし…。難しいですねえ。



【芯になる物語はこれですよね】
 本作の核となる物語は、主人公である「夏凪日羽(なつなぎ ひわ)」とその家族の物語であり、つまり東日本大震災で大切な人を失った人達の物語。
 だから、本筋としては、ラストシーンの日羽のセリフがすべてなのだと思います。


 東日本大震災の時、まだ幼かった主人公・日羽は、大好きだったお姉さん=真里を失う。
 幼かったから、自分自身は具体的に強烈な衝撃は受けてはいないけれど、拭いきれない喪失感がいつもどこか身近にある。
 愛娘の内の1人を亡くした両親は、心からの笑顔を無くしたまま。家族としては、日々を暮らしてはいるのだけれど、満たされない思いがある。

 そんな状況の下、ふとしたきっかけで亡き姉と同じフラダンサーになった、ごく普通な女の子である日羽が、苦しみ、悩み、少しずつ成長していく中で、残された姉の想いに触れ、自分の今立っている位置を確かめ、これまでを踏まえた上で、次の世界に向かって歩き出す。


 スパリゾートハワイアンズのゆるキャラ「ココねえさん」のぬいぐるみとして、日羽の前に再び現れた真里を、「封印」してしまった日羽。
 そりゃ、「有り得ない」「ヤバい」と思って咄嗟にそうしてしまったのでしょうけれど、それはいなくなった人たちの「存在」をも封印してしまうことでもあって、「そこにいた人」の側からすると苦しいことだったのではないかと思います。
 だから、「ビニール袋に入れないで」「ロッカーも狭かった」「口にガムテープを貼らないで」等とぬいぐるみの真里は日羽に言ったのでしょう。つまり、「私たちを、無かったことにしないで」と。


 大切な存在を失った人にしてみれば、あの日あの時から時間は止まったままで、何かとても大きなきっかけが無ければ、そう簡単には意識は変わらないのでしょう。
 そう考えると、月命日のお墓参りのシーン、ディーン・フジオカ演じる鈴懸涼太が言う「やっと、止まっていた時間が動き出した」というのも、恋人であった夏凪真里からよく聞かされていた妹=日羽が、社会人として現れるほどの時の流れと、日羽が現れたことの衝撃が、人生の中での一区切りを導いたということで、理解出来るような気がします。


 こうやって考えてくると、過剰な驚きもワクワクもドキドキも必要は無く、普通のお話であることにこそ価値があるのだと思います。

 改めての「追悼」というのではなく、「共にいたあなたたちを忘れない」ということ、「残る私たちは、変わらずここにいるから」ということを伝えるための作品であって、それが、一面のひまわりの花の中で叫ぶ日羽の「ここにいるよ!」の一言に込められているのでしょう。



【夢のステージ】
 ソロダンサーとして「プアラあやめ」を名乗る姉の同期のダンサー。
 「プアラ」には「太陽の花」という意味があり、実はかつて姉がつけていたものでもあります。つまり、「プアラ真里」から「プアラあやめ」へと引き継がれたもの。

 真里とあやめは親しい間柄で、妹の日羽のこともよく話に聞いていました。
 だから「妹がフラダンスに興味を持っていて、仮に同じハワイアンズのフラダンサーになったとしたら、姉妹で踊れることになる。だから、それまで頑張る」という真里の想いも聞いていました。
 そんな真里を震災で失い、あやめにも思うところがあったのでしょう、「プアラ」を引き継ぎ、ダンシングチームのキャプテンとして頑張り続けてきたのです。

 そして、そこへ現れた真里そっくりの日羽。
 それはそれは嬉しかったに違いありません。
 採用試験の面接の時、試験官の1人だったあやめは、日羽の見せた「ひまわりのような笑顔」を見た時、他の3人の試験官とは異なる表情を見せるのです。
 どんな笑顔だったのかは描かれませんが、きっと、かつて真里が見せた笑顔にそっくりだったのでしょう。他の試験官と違い、直接真里と仲間だったあやめには、その笑顔がとても響いたのでしょう。だから、1人だけ表情が違ったのです。

 その後、新人チームの指導者の内の1人として日羽達に接していくのですが、勢いで応募してきた日羽にはダンスの経験が少なく、お世辞にも「上手」とか「将来性に期待」とは言えない状態でしたから、厳しい指導になったのだとは思います。けれど、あやめにとっては「日羽にバトンを渡す」という願いがある以上致し方なかったのかなと思います。
 あやめと真里と鈴懸の関係(=同期入社かつ親しい間柄)を知らなかった頃の日羽には「厳しいなあ」と思えたのかもしれませんが、振り返れば、深い想いがあるからこその特訓だったのでしょうね。「真里の妹だからこそ」なのでしょう。

 「アクアマリンふくしま」での新人チームだけのミニショーを見に来たのも、もちろん後輩5人全員が心配ではあるのでしょうが、特に日羽のことが気になってのことでしょうね。
 だから、査定以降、様々な出来事で成長して「日羽なりのダンス」を踊れるようになったことはとても嬉しかったんでしょうね。
 帰る時の「飲むぞー」は、そんな嬉しさの証かな。


 あやめ先輩の現役最後のステージ。
 先輩の衣装は、映画冒頭、ソロで踊ってたシーンの時の真里の物と同じなのかな。
 マイクを手渡すのは、日羽。
 後輩チームの中で、一番あやめ先輩寄りで踊っているのも日羽。予約席最前列で見ていた日羽の両親からは、きっと日羽と真里が姉妹で踊っているように見えたんでしょうね。
 そう見えたとしたならば、あやめ先輩が日羽に語った「プアラを引き継いだ私があなたと踊れば、真里の夢を叶えられる」という願いが叶った瞬間だったのではないかと思います。



【みんな主人公だから】
 ただ、全面的に東日本大震災の後の物語では重いということもあってか、日羽の他に4人のヒロインが配されます。

 フラ経験が豊富で優秀だけれど、両親とのすれ違いのある「鎌倉環奈」。
 明るく朗らかで踊りも上手いけれど、食欲旺盛でややぽっちゃりなのが悩みの「滝川蘭子」。
 元気がよく本場ハワイ出身らしい踊りを見せるのですが、どこか家族への思いが募る「オハナ・カアイフエ」。
 コミュ障というか、対人恐怖というかで苦労する、根は踊り好きな「白沢しおん」。

 昨今の世相を反映したような4人。
 日羽の物語を核にして、各々の「悩み」も少しずつ乗り越えていきます。
 それぞれの物語があるので、4人も日羽と同格の主人公というところでしょうか。
 だから、エンドロールの時に画面の左側で繰り広げられる動画では、日羽がセンターには来ないのかな。


 そういえば、新人チームのミニショーの後、「アクアマリンふくしま」の中を見学している5人が最後にガラスの展望デッキに行く場面で、環奈が蘭子に怒っているのですが、なんでなのかが初見ではわからなかったんですよね。

 再見でも他の所を見ていたのでよくわからなかったんですけど、4回目の時に注意して見てやっと理解できました。
 環奈はちょっと高所恐怖気味で、下がよく見えるガラスの展望デッキにちょっと尻込みしていたようなのですが、そこを蘭子に脅かされてびっくりしてたんですね。だから「脅かさないでよっ!」とでも言っていたのでしょう。
 新人チームの心が通じ合ったという意味では、この「アクアマリンふくしま」でのミニショーは大きな価値があったんですね。


 免許取り立ての日羽の運転で、みんなで「いわき回廊美術館」へドライブに行ったとこもいい場面でした。
 自然に笑顔を見せられるようになったしおんの独り踊りから、みんな引き込まれるように揃って踊るところ。あれも、「アクアマリンふくしま」の後ですもんね。
 見に来てくれたあやめ先輩の、それぞれへの一言はとっても大きかったんですねえ。



【あそこで「フラガール」はズルいと思うのです】
 スパリゾートハワイアンズのフラダンサーをテーマにするのならば、2006年の映画「フラガール」を避けて通ることはできません。
 「フラ・フラダンス」が「『震災』から生まれ変わる」「一人一人が歩き出す」物語だとするならば、「フラガール」は「一つの時代への挽歌」であり「地域が新たな一歩を踏み出す」「個人が目覚める」物語なのではないかと思います。
 もちろん「登場人物達の生き方・意識が変わる」という点では、本作「フラ・フラダンス」も同じ系列に連なる作品ですよね。


 「フラガール」は映画本編もさることながら、日系5世の名ウクレレプレイヤーであるジェイク・シマブクロが奏でるテーマ曲「Hula Girl」も素晴らしかった。あれは忘れることのできない名曲だと思います。当方、今でも繰り返し聞いている1曲です。

 そして、お姉ちゃんと同期のプアラあやめの引退ステージでの音楽が「Hula Girl」。
 見ていて「ここで『Hula Girl』を使うとは!」と思いました。ズルいですよねえ。知っている人には、響きますよね。
 そして、ステージの最後の一言「Go! Hula Girl」ここは、涙腺が緩みましたねえ。これも「フラガール」のセリフからですよね。

 細かく配慮が行き届いた、吉田玲子さんらしいお話だと思いました。「偉大な先行作品『フラガール』もあるんだし、この作品をどうするのかな」と思っていたのですが、さすがですね。


 そう言えば、「Hula Girl」が収録されているアルバム「GENTLY WEEPS」の帯に「『歌』のあるインストゥルメンタル・ミュージック、ここに完成」という惹句か書かれているのですが、本当に歌詞がついてるんですね。驚きでした。
 Wikipediaだと「ジェイクの作詞」となってますが、どうなんですかね。でも、あの歌詞があるから「想い」が見ている人に伝わるんだろうな。



【キャストとか】
 たまたま「アイの歌声を聞かせて」と本作で、続けて福原遥の声を聞いているのですが、「声が細いなー」とやっぱり思います。
 普通の台詞は良いとして、叫ぶところ・怒るところ等は、ちょっと声が細すぎるかな。声量ではなく、帯域というか周波数というか、何か「太さ」が足りない気がします。それ以外は、普通のおねえさんの声に聞こえて良いんですけどね。
 裏のヒロイン「真里」を早見沙織が演じているのですが、物語最終盤で姉妹2人が直接長台詞をやりとりするシーンで、地力の差がはっきり出てしまうのがちょっと切ないです。

 しかし、でも、ふと思いました。
 「18才のちょっとドジな女の子が、パーフェクトな発声してたら、それは、なんかリアルじゃないのかもしれない」と。
 んー、なんか宮崎駿が言っていた「『声優』の演技はハマりすぎる時もある」というのも、肯けなくもないのかもしれませんな。
 もっとも、観客動員の点で話題が欲しいというのも大きいのでしょうけれど。

 となると、ディーン・フジオカのある種朴訥な喋りも許容範囲に入るか。
 マネージャーである平和人役の山田裕貴は、それを考慮しても微妙に感じたけれど。「アクアマリンふくしま」のショーの時の「みんな良い笑顔になったね」は棒過ぎると…。

 「フラダンス選手権」の司会は大地葉さんなのね。「プリンセス・プリンシパル」のドロシーちゃんとは全然違ったので、気づきませんでした。うーん、精進しなくちゃ…。


【余談いろいろ】
 4週目の入場者特典は「アイカツ!×フラ・フラダンス」のコラボイラストカードだったんですけど、「アイカツとフラ・フラダンスは縁が深いって、何のこっちゃ?」と思っていたんですが、新人チームの声を担当した人たちが過去に「アイカツ!」に出演してたんですね。それにスタッフも「アイカツ!」絡みの人が多いと。なるほどねえ。


 「本作の目玉となるフラガールのダンスシーンは3Dで描かれますが」と公式サイトで言ってます。確かにそうなんですが、「あー……」と思ってしまいました。踊りと表情の動きがちょっとぎこちないんですよね。
 「3Dでダンス」とくると、個人的には「ポッピンQ」です。もう5年前の作品になるのですが、「CG(3D)でダンス」の完成度は段違いでした。まあ、ポッピンQは踊るのが5人、フラ・フラダンスは多数という違いがあるので難易度が違うのでしょうけれど。


 「ずっとおうえん。2011+10…」プロジェクト3作品の内の1つが本作なのですが、残りの2作品は「バクテン!!」「岬のマヨイガ」なんですね。
 「バクテン!!」は野郎中心の作品なのでパス(←オイ)。
 「岬のマヨイガ」は絵柄もキャストも悪くなかったのですが、内容が「………。」ということでパス。見たら面白いのかもしれませんが…。舞台となっている大槌町は、湧水群についての研究が興味深いので、一度訪ねたい所なんですよね。蓬莱島もあるし。

 今回のプロジェクトでは、はっきり「聖地ツーリズム」を狙っていることが示されてますが、どうかなあ。「狙った聖地ツーリズムはコケる」から。
 仙台はそんなことしなくても集客力があるしなあ。大槌町は、地味な気がするんですけど…。
 福島は、私は行きたくなりましたよ。
 もともと、福島県とは少しだけ過去に縁があって、「もしかしたら」の地でもあるし。「フラ・フラダンス」のお陰で良い所をたくさん知ることが出来ましたしね。仕事が一段落したら、是非訪ねてみようと思ってます。