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2020年12月31日木曜日

2020年唯一の、県外行き


 今年最後の記事は、お出かけの話にしました。
 一応、「旅日記」と名乗ってますからね。

 「お出かけ」とはいっても、今年は新型コロナウイルス禍の下ということもあり、ほとんどしていません。

 ウチの職場は、ちょっと特殊な業務を扱うこともあるので、新型コロナウイルス感染症にかかる訳にもいきませんで。普段にもまして体調管理に気を使っておりました。
 おかげで、極めて軽い風邪を1度患ったくらいで済み、体調的には例年よりも楽に過ごせたのですけれど…。

 ということで、以下、今年唯一県外へ出たドライブの時のお話です。


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 やっぱり、春は桜ですよね。
 今年の春は、新型コロナウイルス感染症の問題もあって、「花見」どころではありませんでしたねえ。


 でも、やっぱり、桜は見たいじゃないですか。

春ごとに 花のさかりは ありなめど
       あひ見むことは 命なりけり

 春になると、柄にもなくこの古今集の歌のようなことを考えます。
 今年の桜は、今年しか見られませんからね。


 世間は、新型コロナウイルスの跳梁に対して引き籠もる日々ですな。
 「感染拡大を防ぐ」という大目的がある以上、煩わしいけれど、やむを得ない措置といったところでしょうか。

 当方も基本的に「不要不急の外出は控えている」のです。
 そもそも当方は引き籠もるのが得意ですから、普段の週末ならば、用事が無い限り一歩も家の外に出ないことがデフォルトです。
 月曜の朝、出勤途中のバスの中でニュースのチェックのついでに、活動量計のデータをスマホに吸い上げると、土日の歩数だけ綺麗に「0」になっていて我ながら苦笑します。

 そんなお外が嫌いな当方ですが、この時期だけは桜を見に出掛けることがあります。
 こんな御時世ですし、出掛けるのも面倒くさい気がしないでもないのですが、今年の春は今しかないので、やっぱり出掛けることにしました。


 当方のお気に入りは、名古屋市内ならば北区の「御用水街園」、市外ならば岐阜県海津市の「平田公園と大榑川(おおくれがわ)堤防桜並木(①)」、同じく海津市は「中江川堤の桜並木(②)」です。
 最近は、これに三重県木曽岬町の「鍋田川堤桜並木(③)」が加わりました。
 海津市の桜並木達は、養老山地の山々を背景に、広々とした風景も楽しめるので、特にお気に入り。

 ①→②→③と、早朝から出かけると3~4時間程の行程で、午前10時頃には帰宅できる、とても手頃なドライブコースになるのです。



 平日と変わらぬ午前5時少し前に起き、最低限の身支度をして車に乗り込みます。

 一日の内で一番好きな時間帯です。


 いつもならば、こんな時刻でも名古屋高速はそこそこ車が走っているのですが、今朝はガラガラ。自分の前にも後ろにも全く車が居ない光景を楽しみながら北へ向かいます。

 一宮ICで名神高速道路に乗り換えて、西へ。


 岐阜羽島ICで下道へ。
 走り慣れた道をちょいちょいと進んで長良川に架かる大藪橋を渡れば、ほんの少しで「大榑川堤防桜並木」のスタート地点です。
 

 資料によれば、この大榑川の桜並木は約7㎞に渡って、およそ1,000本の桜が植わっているそうです。




まだ木が若いようで、花のボリューム感は物足りないかも?

せっかくなので、バリバリに加工してみました。
曇り空じゃなければもっと良いのですが…。

 長く桜が楽しめるように、開花の時期が異なる2種類が植えられているそうですが、私は大体前半戦に見に来るので、未だ遅咲きの方を見たことがありません。
 この地方では有名な「お千代保稲荷」もすぐ近くですし、いずれ後半戦の桜も見に来ようかな。



 日もすっかり上りました。
 次の「中江川堤の桜並木」に向かいます。



 ここは、中江川の起点にある池ですね。
 バス釣りでも知られているところなので、早朝にもかかわらず釣り人をよく見ます。

 この中江川沿いには、約10km程桜が植えられていて、真っ直ぐな道を、淡々と南に下っていきます。
 目で眺めるには良いのですが、道と川の間に並んでいるので写真的には面白くないんですよね。
 花の規模と景色の加減で、毎年この辺りで写真を撮ってます。


 老木が多く、所々伐採されたりして、毎年少しずつ眺めが変わっていきます。
 あと、何回見に来るのかわかりませんが、どうなっていくのかしら。


 まだまだ南へ続くのですが、適当に切り上げて「鍋田川堤桜並木」へ向かいます。
 
 国営木曽三川公園の展望タワーが見えたら右折して、木曽川と長良川を隔てる堤防を南へ進みます。

 ここから先のガードレールの無い堤防道路は、ちょっと落ち着きませんね。私の車は軽1BOXなので、車線の幅に対して余裕がありますが…。普通車ならあまり走りたくない所です。


 高圧線鉄塔の下に見えるのは、「船頭平閘門(せんどうひらこうもん)」。
 明治時代に木曽三川の大改修を行ったときに作られた、木曽川と長良川を直接つなぐ「閘門」です。

 大改修までは、この辺りは2つの川の流路が網の目のように繋がっていて、地元の人の船が自由に行き来していたそうですが、川同士を整理して堤防で締め切った為に通行出来なくなってしまい大変不便になったことから作られました。

 これがないと、河口まで行かなければお隣の川に行けないのです。大変遠回りになってしまいます。


 時代は変わり、現在では両川を行き来する船は激減して、年間200回位の利用だそうです。
 一度実際に船で通ってみたいものだと、密かに企んでます。



 桜見物の最後は、「鍋田川堤の桜並木」。愛知県と三重県の境になる「鍋田川」の堤防沿いに植えられた桜並木です。


 交通量の多い道路の両側に植えられた桜並木なので、気をつけないと…。
 早朝だと混雑しないので良いのですが、光線の加減か今一つぱっとしないんですよね。
 ここの花を見るのならば、お昼頃、十分な光量の下で、満開の頃がよろしいかと。


 鍋田川沿いを下っていくと、国道23号線に出ます。左折して東の方へ進んでいけば家に帰れるので、素直にそうします。休日の早朝なら、空いてますからね。高速道路並みに流れます。


 お腹もすいたので、帰途、朝ご飯を。
 家に帰って、いつものようにトースト食べるのもつまらないので、どこかで食べていくことにしました。


 前は別のお店だった所が、立ち食いそば屋になっていました。さっぱりした物が食べたい気分だったので、そばを食べることに決定。

 少し寒かったので温かいかけそばでも悪くはないのですが、冷たいものを手繰りたいので「もりそば」にしました。
 出来上がりを待っている間に「舞茸の天ぷら」をメニューに発見。こういう立ち食いそば屋で「舞茸天」は珍しく思えたので、追加で注文。

 ん? 「さっぱりした物」ではなくなっちゃったような…。
 まあ、気分の問題ですから…。(^^;



 帰宅後、GPSロガーで記録したルートのデータを見ていたら、ちょうど100km走行した桜見物のドライブだったようです。
 狙った訳ではないのですが、ピタッとキリのいい数字になるのは、なんだか嬉しい気がします。


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 なお、朝ご飯を食べた立ち食いそば屋さんは愛知県内ということで、愛知県外では一歩も車から出ずに周回してきたことになります。


 結局、2020年に県外へ出たのは、このドライブの時だけでした。
 普段の年なら最低1回は出掛けている東京・立川のシネマシティにも、行けませんでしたねえ。

 来年は、どうなるのかしらねえ…。


2020年12月28日月曜日

普通に良かった 「ジョゼと虎と魚たち」


 楽しみにしていた、「ジョゼと魚と魚たち」を見てきました。
 今回は、そのお話です。

 ネタバレがあります。
 映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。

 あくまでも、私個人が、アニメ映画版「ジョゼと虎と魚たち」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。


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 見たい映画の封切り日なので、今日(12月25日)は1日休暇です。

 「映画見に行くから、休暇ぁ?」
 「世の中、舐めてんのか?」

 いいんです。昨日も会議で遅かったし。
 その会議で、また仕事が増えたし…。


 「宣伝もある程度はやっていたし、クリスマスの週末だし…」ということで、「カップルでいっぱいで、激混み」を想像していたのですが、それ程でもなかったですね。70%位の入りだったような気がします。
 平日の朝一番の回なら、これで十分かもしれませんが、告知から考えれば、もう少し欲しいかな。

 まあ、ここは名古屋ですからねえ。

名古屋駅前のシネコンの出口の掲示幕です。
お隣には以前の記事の「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の幕が。

記事を書いている時点では、まだDolby Cinema版の上映が継続中なのです。


 2回目に見た、いつものシネコンでは観客は20名くらい。
 うーん。まあ、平日の16時00分上映開始は、中途半端な時間だから…。
 今日この後の2回分で、バーンと観客が来てることを祈りたいです。



【「民の声は、神の声」】
 「修道院荘園(「アベイ農園」他いろんな訳題があります)」のラストでシャーロック・ホームズは、そう宣告しました。
 一般人民の、普通の声の中に、真理があるということですね(※)。
 私、「評論家よりも、コメンテーターよりも、映画を見終わった後のお客さんの何気ないおしゃべりにこそ、真の評価はある」のではないかと思っています。

 朝、名古屋駅前のシネコンで見終わって退場する時に、前の二人組のお喋りが断片的に聞こえました。
 それが、「普通に良かった」です。

 そう。普通に良かった。
 凄くいいかといわれると、そこまでではないような気もするけれど、普通に良かった。
 絵も声も音も、どれも十分で、普通に良かった。



【「私はこう捉えた」ということです】
 あらすじは、公式サイトなり、YouTube上の予告なりを見ていただくのが手っ取り早いでしょう。

 ○アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』公式サイト
 ○アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』ロングPV(YouTube)


 中盤~終盤にかけて、二度、ジョゼが恒夫の前から姿を消すところがあるのですが、そこが、少し説明(描写)不足な気がします。
 「想像しろ」「考えろ」ということなのかもしれませんが、それまでのジョゼの心象・心理的描写が少ないことからすると、ちょっと唐突で突き放された感じがするかな。


 恒夫のバイト先の店内で自分の服をピラっとさせて、「うーん」という表情をしているところ。
 あれは、ずっと守られた内側の世界にいる自分と、外側の世界で過ごしている今時の女子の服装と比べて、「なんか、冴えんな」と思ったのかな?

 撮影してきた魚の話で楽しそうに話す恒夫と舞の姿を見て、「自分には叶わないこと」をして、そのことで楽しげに話す2人(特に舞)に対して無意識の嫉妬をしてしまったのかもしれません。この時、既にジョゼは恒夫を意識していたのですから。

 「自分には出来ない」「自分には届かない」ことの事実を改めて知ってしまい、「理解者のようにも見える恒夫」から逃げ出したかったということなのでしょうか。

 ずっと抱えていた「自分には出来ないこと」への苛立ちが、その後に重大な場面をもたらす「健常者には分からん」のところで吐き出されるのかもしれません。



 自分が、自分で動けなくなって。
 自分がどれだけ願っても、叶わなくなることがあって。

 それを、恒夫が「『自分のこと』として理解した」時、本当に恒夫とジョゼの心が通じあったのだと思います。

 「あたい…幸せや」というシーンには、自分のせいで大変なことになったのに、それでも「退院の時には、迎えに来てほしい」と言ってくれた恒夫の想いに、自分には縁が無かったはずの「誰かを好きになる」「誰かに好きになってもらえる」こと ― 心が 想いが 通じたこと ― が感じられたことへの素直な気持ちがあるように思います。

 だからこそ、リハビリの効果も出て退院出来るようになり、失った夢を取り戻した恒夫に対して、「自分が居ては、恒夫の『これからへの飛翔』『夢の実現』の重りになって」しまうと思って、ジョゼは恒夫の前から姿を消したのかもしれませんね。


 独りだった閉じた世界に、「勇者」がやってきて、外へと連れ出し、繋がりを創ってくれた。
 そして、いつか、勇者とはこれからの時間を共に歩んでいく、かけがえのない存在同士になった。

 おばあさんの遺影が、エンディングロールで映るのは、「ホント、良かったな、クミ子」と言っているように思えます。



【これで十分だったんや】
 今回の作品には、2003年の実写版がある訳です。
 でも、その時には見たいとは思わなかった。
 理由は単純で「好みではなかったから」です。
 普段から書いているように、私は「ハッピーエンド至上主義」なので、薄暗い、幸せそうに思えない映画は見る気にはなれませんでした。


 普段ならば「自分の意見をまとめる前には、他人のものは見ない」のですが、今回、ふと検索でヒットした先で「うーん」と思わされるものを見てしまいました。

 「本来、この物語の根幹を成す『闇』から目を背けて、何が『ジョゼと虎と魚たち』なのか?」という論に、肯ける点はあるのですが、とはいえ、わざわざ後味の悪いものを見る必要はないと思うのです。

 以前、「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」をめぐる妄想記事の中で書きましたが、「物語は、要求に応じて書き換わる」のです。
 現在の顧客(=観客)が「きれいな純愛を求める」のならば、原作を再構築してそれに応えるのも「あり」だと思います。
 薄暗さの原因を排除して、精神的な純愛に昇華させるのも、「あり」だと思います。

 「換骨奪胎」といえなくもないですが、出来上がったものが良ければ、それでも十分だと思います。

 そういう点で、本作は、「田辺聖子の小説を『原作』とした」に過ぎないのです。
 そう捉えるべきでしょう。

 「キレイごとばかりの映画」といわれてもねえ。
 私は、「キレイごと」が見たいのですし。


 もっとも、製作者側が本作の原作を「青春恋愛小説の金字塔」と言ってしまえるセンスには、呆れるのですけれど。
 宣伝に必要とはいえ、これは、少なくとも「青春恋愛小説」の「金字塔」ではないだろうよ。
 アオハルは、もっと爽やかでなければ。


 こちらは、いつものシネコンでの掲示です。



【余談と戯言と】
 この作品も、文化庁の助成金あり。
 でも、こういうのならば、どんどん投入してくれても構いません。
 それに比べて、「パノラ…」、う、「きみは……」、あっ、頭が…………。
 やめよう。死人に重ねてとどめを刺すのは…。

 ところで、助成金は国からの支出ですから、いわゆる「国費」の投入ということになります。「国費」といえば「会計検査」。
 こういう助成金に対する会検は、どうやってやるんですかね?
 ムダなお金がなかったかって、どうやって判断するのかしら? それとも支給型育英資金のように、「出しっぱ」なんでしょうか? お仕事の関係もあって、少し気になります。


 エンドロールの後のシーンも含めて、よく出来てます。
 予定調和ですが、まあ、そういう伏線ですもんね。回収・回収っと。


 あと、上映終了後に、こういう画面が出ます。


 感想を投稿する所までちゃんと誘導するあたり、
話題性(口コミ)を得るために練り込まれてますねえ。


 当地では、新年早々の公開となる「声優夫婦の甘くない生活」(1月1日)、その後に公開になる「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画」(1月8日)と、個人的に興味を持っている作品と合わせて、チャンスがあればもう1回映画館でみたいと思っているのですが、さて、どうなりますか…。


 この前に見たのが「ニューヨーク 親切なロシア料理店」ということもあり、「薄暗い映画で1年終わるのもなあ…」と思っていたので、希望を感じさせる本作品で1年を締めくくれて「ほっ」としました。

 休暇取る価値は十分にあったと思います。
 よかった。

 
<以下は、戯言です>

 最初の「事件」の後、ジョゼ宅に招かれた際。
 晩ご飯をご馳走になる恒夫の傍らでジョゼが読んでいるのは、カバーを外した角川の文庫本。さすが角川書店、細かなところにも織り込んでくるわー。
 カバーが映画化の特別版なら、買う可能性は否定出来ないけど、どうなのかしら…。
 なお、Amazon限定で画像のダウンロード権がついたヤツを販売してるんですね。うーん。


 エンドロールで宇野亜喜良さんのお名前が出て、ちょっとびっくり。
 最近だと、NHK「みんなのうた」において、「誰かがサズを弾いていた」の映像で造形とイラストレーションを担当されていたのを強く覚えています。
 「イラストか工芸での協力なのかな?」と思ったのですが、どうやら書影協力っぽいですね。サガンの訳書の表紙イラストの関係でしょうか。

 仕方なく応じた人魚姫の読み聞かせが終わった後、ジョゼがホワイトボードに描いていた「人魚の住むお城」の絵も、なんとなく似ていなくもないように感じましたが…。


 Evan Callの担当した音楽はとても良かったのですが、図書館でのクライマックス(「心の翼」の絵本朗読)のところで流れた曲は、やや「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」での曲と似ていたような気もしないでもありません。
 両作品の公開時期が近いことと、後者を20回見て記憶に焼き付いているからそう思うのかもしれませんけれど。


 いつも「月の形(月齢)と時刻表現」にこだわって見ていますが、本作は月齢も時刻もぴったりで、演出的に素晴らしいと思います。

 満月が下界を明るく照らすのは、ほぼ真夜中のこと。

 だから、恒夫とジョゼが、病室の窓辺・自室の窓辺、月明かりの下で落ち着かない気持ちでいるのは、真夜中の雰囲気にぴったり合う。

 蕪村の俳句「月天心貧しき町を通りけり」や、小川未明の童話「月とあざらし」を思い出します。


 出てくる車の「絵」が微妙に古いのよね。
 あと、同じ車がやたら出る。例えばワゴンRとか、初代Fitとか。
 NCV(=9代目)カローラがちょこちょこ出るのには驚いた。9代目は、もう15年以上前の車だから、今ではあまり見かけなくなりつつあるのだけれど…。
 恒夫を撥ねた車と退院の時のタクシーが同じトヨタ・カムリというのは、いただけない。
 もう少し、そこら辺は工夫してほしいところ。リアリティに差が出るから。

 もっとも、「HELLO WORLD」の時の「ist大量発生」に比べれば、かわいいものですけれど。


 リアリティといえば、ジョゼのラジカセの液晶。
 ケータイやスマホのアンテナ記号は、ラジカセには無いのでは?
 しかも「バリ3」。周波数も表示されてないのに「バリ3」はないでしょ。
 プロップ設定の方、しっかりしてくださいな。


 電車から見えた飛行機は、神戸空港だったのか、伊丹空港だったのか?
 
 箕面市立中央図書館は聖地になるのかな?

 「清原果耶の声を愛でる映画」でもあるのかもしれん。
 来年の朝ドラは見る。うん。うん?
 まあ、「来たる者は日に以て親し」ということで…。


2020年12月27日日曜日

現実の世界は… 「ニューヨーク 親切なロシア料理店」



 気になっていた洋画の中の1本を見てきました。

時間的に余裕が無かったので、晩ご飯は映画の後。
内容が内容なので、ご飯がおいしく感じられませんでした…。


 予告編の段階から重苦しさは感じていたのですが、登場人物の「良さげな老紳士」が気になって…。実見に及んだわけです。
 「味のあるおじさん」が好きですからね。

 「もの凄くハッピーでハートウォーミングな物語」とは思っていませんでしたが、現物の重さは想像以上でした。

 今回は、そんな感想です。


人物写真の右側、上から3段目が「老紳士」です


【あらすじは公式サイト他で御確認を】
 若くして結婚した主人公が、ある種の異常者である配偶者からDVを受け、それからの脱出を図るのが本筋。
 それと同時並行で描かれる様々な人達の物語が、ある一点で交わり、そこから話が動いていきます。

 主人公以外の人達は、身内を犯罪絡みで無くした男(=マーク)、発達障害の男(=ジェフ)、1人で頑張っているものの思うようには物事が進まずに限界に達しつつある女(=アリス)が描かれています。

 そうして、彼らをそっと包み込むのが、予告編で気になっていた老紳士がオーナーであり、邦題に含まれている「ロシア料理店」ということになります。
 そのロシア料理店にしても曰く付きで、決して天国ではない訳ですが、ある種達観した老紳士の心のお蔭か、世間からの緩衝地帯になっているのですね。


【私にはわからないけれど】
 私、物心ついてから以降、誰かを能動的に殴ったりしたことがありません。
 なものですから、暴力をふるう快感というのが理解できないのです。
 なので、一見正常そうな主人公の配偶者の暴力嗜好は理解できないのです。

 でも、ある一線を超えた瞬間に「スイッチが入る人」は、この世には結構いて、それは割とよく見ているので、「ああ、居るよね、こういう人」とは痛感します。

 頭は良さそうな人なので、きっと合理的に暴力をふるうことが出来るであろう警察官になっているのでしょう。
 でも、これがまた、主人公親子を追い詰めるのに効果的なのです。「他の職業ならば、こんなにスピーディかつ効果的に出来ないよな」と思います。


【愛はなかった】
 主人公は、きっと自分への暴力だけならば、引き続き我慢していたのでしょう。でも、息子たちへの暴力には耐えられず、脱出を決めました。
 逃亡生活の最中、長男に配偶者との出会いとその後の生活を語るのですが、「生け贄になったの?」としか思えません。
 そんな状態では、決して愛情のある生活ではなかったはず。それ故、ロシア料理店でマークと正式に出会って、これまでにはなかった「愛情」を感じたのでしょう。

 他の2人(ジェフ/アリス)にしても、「愛情」とは程遠い状況です。
 「現代の病理」と言ってしまうとそこまでなのかもしれませんが、乾いて繋がりの希薄な現代社会の縮図を見せつけられているようで、いたたまれなさでいっぱいになります。


【イメージ】
 ロシア料理店の裏側をみると、「イメージ」の力を考えてしまいます。
 老紳士こと「ティモフェイ」は、実はニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。つまり、バリバリの「ニューヨーカー」なわけです。 
 でも、ロシアからの移住者の血統だからということで、ロシア人らしさを求められる。

 ロシアにゆかりの無さそうなキッチンスタッフ達の作るロシア風の料理の価値は、一体いかほどなのか? そこがわかっているからこそ「缶詰開けるだけだからキャビアは間違いがない」という、ティモフェイの自嘲的なセリフが、ピリッと利くのだと思います。

 私たちも、普通に「こういう風だよね」という、物事に対する先入観を持っている訳ですが、「それ、本当なの?」と思うことも大切なのだと思います。
 公平ではない、決めつけなのかもしれませんからね。


【とても淡い救い】
 繋がった登場人物達。
 そして、話は動いて、物語は決着します。
 「まあ、そうだろうね」と思える展開があって、主人公親子は配偶者と離別することが出来ました。

 最終盤に、「長男の想いもあって、今すぐに大きな展開は作り出せないけれど、時間をかけてマークとの関係を育んでいきたい」という、主人公の想いが込められた贈り物が登場します。
 それを受け取った時のマークの抑制された感情表現が、派手ではないからこその堅い未来を想像させて良かった。
 「それだけ?」と思えてしまうのですが、とても淡いけれど、主人公達にとっての大きな救いなのだとは思います。


 ジェフも、ティモフェイとマークの想いから、ロシア料理店のドアマンとして雇われます。これも、派手な形ではないのですが、理解してくれる人に見守られる暖かなこれからを感じます。


 アリスには、少し変わった、でも正義感のあるパートナーが出来たし、営んでいた事業もバックがついてうまく回るようになって、いい方向に進んでいることが描かれます。

 決して「もの凄くハッピー」ではないのですが、淡いけれど暖かい救いがある物語。
 たぶん、現実も、そんなものですから。
 納得しました。


【見ているのはつらい】
 最後には幾らかの希望があって、一晩経って納得は出来たのですけれど、見ている間はとてもつらかったです。
 「普通のコース」を少しでも外れた時に、人に何が起こるか。簡単に追い詰められてしまう有り様。そして、畳み掛ける事態。

 主人公達には、ロシア料理店があり、マークがいました。そして、マークやアリスを包み込むティモフェイや弁護士ジョン・ピーターがいた。だから、何とかなった。でも、彼らがいなかったら?


 DVは私たちの暮らすこの国でも他人事ではないし、一度道を踏み外すと救いの薄い状況だってさほど変わらない。

 新型コロナウイルス禍で、こんなにも脆く「日常」が崩れたことを考えれば、決してスクリーンの向こうの作り事ではないと思うのです。

 そう思うからか、見ていてとてもつらかった。
 シアターを出て、車で家に帰る間も、ずっと気分が重かったです。



【出来の良さ故に】
 映画の冒頭、主人公達がまだ眠っている配偶者を残して家から出ていくシーン。そこでメインのキャスト名などがテロップで出るのですが、美しく洗練されていたと思います。
 場所・舞台(アニメ的には「背景」って表現する要素)の良さ、画面構成の良さが合わさって、「絵」としてとても良くできていると思います


 それに、出てくる場所(ロケ地)が素敵で、「これならば『ニューヨーク市のフイルムコミッション』が協力した価値があるわ」と思えました。過日の「君は彼方」と、根本的に異なるところですね。

 逆に、美しくセンスが良いからこそ、救いのなさが重くなるのかもしれません。


 ただですねえ、ストーリーに劇的な山場が有る訳ではなく、主人公たちも家出の最初の頃の空元気がなくなり、淡々と重い話が続いていきます。
 「面白い?」と問われれば、「うーん、それ程でも…。お勧めはしないかな」と答える作品です。そこら辺が、海外における低評価につながっているのかもしれませんね。


2020年12月26日土曜日

「リプレイゲイン様々」な、お出かけ音楽再生環境


 通勤の行き帰りに音楽を聞いておられる方も多いと思います。
 お気に入りの音楽を聴くと、やる気が出たり、疲れが癒されたりして、良いですよね。

 かく申す私も、朝な夕なにお気に入りの音楽を聴きながらバスに揺られております。


 ところで、こんなことありませんか?
 「ある曲を聴くのにちょうどよくなるように音量(ボリューム)を合わせたら、他の曲に変わった途端音が大きくなったり、逆に小さくなったりして、聞きづらい」って。

 イヤホン等に音量調節用のボリュームが付いていたとしても、例えば一曲毎にいちいち調整するとなると、面倒で仕方がないですよねえ。

 私もつい最近まで「めんどくさいなー」と思いつつも、爆音で周囲の人達に迷惑掛けたくないし、小さな音で聞き取りにくくなるのも嫌だしで、チマチマと都度調節を繰り返しておりました。

 普段の通勤時に限らず、車を運転する時にも、スマホをカーステレオに接続して音楽を聞くのですが、この時にも音量調節をしなければならないんですよね。それでは運転に集中出来ないので、危ないし。


 ということで、あまりにも面倒臭くなったので、ついに改善に取り組むことにしました。
 うん、「必要は発明の母」ですねえ

 といっても、私が何か画期的な方法を編み出した訳ではありません。
 この「音量調節めんどくさい問題」は多くの人を悩ませているので、それに対応して頭の良い人が、対応する仕組みを作ってくれているので、それを導入したのです。


 「リプレイゲイン」という考え方がそれです。
 ある1曲の音楽データには、当然、音量の最大値があります。激しく大きな音の鳴る曲なら最大値は大きな値になるし、静かな曲なら小さくなります。
 一定の基準となる音量の値を定めて、それよりも大きな最大値の曲なら音量を小さく、小さな曲ならば音量を大きくなるように調整して、どの曲を聞くときにもあまり差が出ないようにする訳です。

 仕組み上、一曲毎に最大値を調べて、その情報を曲のデータファイルに書き込んでおかなければならないのですが、それに必要な作業量を考えると、なかなか実行するのが躊躇われていたのです。


 案ずるより産むが易しといいますが、必要なツールを適切に使えば、サクッと作業を行うことが出来るんですねえ。
 今回の場合、パソコン上で「Foober2000」というソフトを使うことで手軽に実現できました。

 ウチは、CDから抽出した音楽データを、疑似的にハイレゾ相当に後処理し、最終的には「FLAC形式」というデータに変換しています。

 そのFLACファイルをまとめてFoober2000にドラッグアンドドロップし、リスト内で選択した後、ツールバーから「リプレイゲイン」→「トラックゲイン」と選んで実行してやれば、しばしの後に、一曲毎の音量の最大値(=トラックゲイン)が各ファイルに書き込まれます。

 トラックゲインが書き込まれたFLACファイルを、スマホのmicroSDカード等に書き込んで、リプレイゲインに対応した音楽プレーヤーで再生してやれば、音量調節をさほどしなくてすむ、再生環境が実現します。


 私の場合、ここ最近は「musicolet」というアプリをAndroidスマホで使っていました。

いつものように後処理で色を濃いめにしています。
実際に聴いている時は、もっとあっさりです。

プレイリスト画面で、ジャケットアートのサムネイルが表示されたり。
こっちの方が、使っていて楽しいんですけどね…。


 でも、残念ながらリプレイゲインに対応していませんでした。
 そこで、リプレイゲインに対応している「HF Player」を使うことに。

再生画面だとあまり違いはありません。
でも、プレイリスト画面にはアルバムアートのサムネイルはありません。

プレイリスト画面のアルバムアート表示はありませんが…。
代わりに「HF Player」には歌詞表示機能があるのです!

 もともとハイレゾ対応の際に「HF player」を導入していたのですが、より使いやすいということで「musicolet」に変えていたんですよね。なので、結局、元のアプリに戻ってきたというわけです。

 オーディオ専門の方からは、「良い音で聴きたい」とかいってるくせに、リプレイゲインとか、なにへたれてるんだよ」とか言われそうですが、やはり便利さには勝てません。

 そもそも、通勤時に適当なイヤホンで聴く時に、「『良い音』とは、一体どうなのか。追求することに意義があるのか」とも思いますからね。

 ほどほどで良いのです。
 無駄に動きたくないというのが、根本なので。

2020年12月24日木曜日

これこれ、コレですよ。


 という訳でまたスマホを買いました。
 HUAWEIの「mate 20 pro」ってヤツです。
 任務は「主としてカメラ担当」です。


今回買ったmate 20 pro
壁紙が一緒なので、違いが分かりにくいですよね。


 本当は、2018年末の発売開始当時にも「購入」ボタンをクリックする直前まで行ったのですが、いろいろと考え合わせて、買うのは控えたのですよね。

 でも、カメラ担当機の決め手に欠ける現状を鑑みて、今回、買うことを決めまして。
 個人的な感想ですが、一定以上のグレードのHUAWEIのスマホって、カメラの出来が良いですからねえ。


 御存知かもしれませんが、HUAWEIはアメリカからの制裁を受けていて、現行最新のスマホでは、Googleの提供する各種のサービスを利用することが出来ません。
 P40シリーズとか、興味はあるのですが、普段使っているGoogleのサービスが使えないんじゃ選択する気にはなりません。

 でも、このmate 20 proは制裁発動以前に販売されていた機種と言うことで、Googleのサービスを使うことが出来ますし、以前のメイン機種であるP20 pro(HW-01K)と異なりソフトウェアのアップデートも提供されています(※)。


 球数も限られるしお値段もそこそこするので、今更新品を買う気にはなりませんから、中古です。
 経年劣化してるところ(バッテリーやバックケースとか)は、最悪の場合は修理に出せばよいので、中古でも良いと判断しました。
 HUAWEIは東京と大阪に、直営のサービスセンターが有りますからね。新型コロナウイルス感染症が落ち着いた頃に、一度点検・整備をお願いしようと思ってます。

 Amazonで発注していたガラスフィルムとバックカバー、それに外部記録メディアが揃ったので、昨晩遅くに一気に装着して使えるように整えました。


 前に使っていた同じHUAWEIのP20 pro(HW-01K)では使えなかった外部記録メディアが使えるのが嬉しいです。
 ただ広く流通しているmicroSDXCカードではなく、独自規格の「NMカード」というヤツになります。スマホに装着する「nano SIMカード」と同じ大きさなので、すごく小さいです。




 独自規格ということで、これまではHUAWEI純正の物しかなく、microSDXCの安さから比べるとどうしても割高だったんですよね。
 ところが互換製品が登場して「まあ、これぐらいなら我慢できなくもないかな」というレベルになりました。なので、今回買ったのはLexerブランドの互換品です。LexerのmicroSDXCカードはKindle fire HDで複数使っているので、ある程度の信頼感を持ってますし。


ちっちゃいです。

 それでも、割高なのは変わらないので、あくまでも写真の保存先として使うに留め、音楽とかは雑用担当のRedmi Note 9Sを引き続き使って行くことになりますね。


 肝心の写真なのですが、HUAWEIのカメラに慣れている者からすると「あ、これこれ。この絵だよね」と思えるものでした。

 実は前の記事の写真もこのmate 20 proで撮影したものでした。

↑これですね↑

 色補正する前は


 結構地味です。
 「濃いめでウォームな感じ」が好みなので、それっぽくしてます。


 サイズを小さくしているし、後処理掛けまくりなので、ブログに掲載したものを見る限りはこれまでと変わらないのですが、撮影した画像そのものを見ると、全く違うんですよね。


 撮影した画像ファイルから等倍で切り出したものです。この画像は、JPEGではなく、PNGにしています。
 薄暗い中の手持ちなのに、画面の端でもこの程度に写ってるのは、結構スゴいと思います。

 もっとも、縮小すれば、こうなっちゃう(↓)ので、同じですけれど…。


 編集する前の、素材そのものの質が向上したので、作業的な面では歩留まりも上がって、楽できるかなと期待しています。


 ホーム画面の壁紙は、いつもならば黒一色の自作画像ファイルを使っているのですが、今回はBlu-rayまとめ買いの時の画像をモノクロにして使ってみました。


こんな感じです。





※:
 世界全体で売られている製品(「グローバル版」と呼ばれることが多いです)の一般的な商品名が「P20 pro」。それをベースにしながらdocomoで売る為にいろいろと変更・調整した物が、「国内版」「docomo版」の「HW-01K」ということになります。
 docomo用に調整している部分が多く有るため、グローバル版用のアップデート等を単純に適用する事が出来ず、どうしても時間的な遅れが生じたり、グローバル版では可能だった機能向上措置等がdocomo版には無かったりします。そもそも、本機
HW-01Kの場合は性能的に問題が無かったにもかかわらずAndroid 8から以降へのOSのアップデート自体がされませんでした。高いスマホなのにねえ…。


2020年12月23日水曜日

どっちの「重い…」がよいか? そして…


 軽々しい感じで生きております。
 落ち着きが無いと言われます。
 体重は、そこそこ重いんですけど…。


 以前に、「今頃になってZenFone 6というスマホを買った」という話をしました。
 「多分、あまり使わないんだろうな」と思っていたのですが、思ったとおり、あまり使っていません。(^^;
 「うーん、なんでだろう?」ということを考えた記事です。


楽天が第4のキャリアとして始めた楽天モバイル(MNO)
多くても10GB@1ヶ月くらいしか使わないので「通信無制限」の意味が…


 お試しで「楽天モバイル回線」を春から使っているのですが、それに対応するスマホが必要になって買いました。
 「性能がそこそこ良いのに激安」で知られている「Redmi Note 9S」って機種です。

雑用全般を担当しているRedmi note 9S
小さなインカメラが、中央上部にあるのが特徴です。


 いや、最初はHUAWEIの「nova 5T」を買って使っていたのです。

これは、HUAWEI nova 5T
ロック画面の壁紙がみんな同じなので、よくわかりませんよねー。

 そこそこ軽いし、薄いし、性能はハイエンド機種並みで優秀なのに、安くて、使いやすくて良いのです。ホント、良いことづくめ。
 でも、「外部記憶媒体(この場合はmicroSDカードとかのことです)が使えない」というのが気になってしまったんですよね。


 ご多分に漏れず、私も通勤の時に音楽を聞いたりしてます。
 少し古めのWalkmanを使っていたのですが、ただでさえ持ち歩く小物が多いのに、その上に音楽再生専用機までとなると、充電の管理もめんどくさくなって、ヤル気が失せてしまいました。

 で、スマホに回帰したんです。
 駄耳ではありますが、多少なりとも良い音で聞きたいので、ハイレゾ相当にアップコンバード処理した音源を、劣化がほとんどないとされるFLAC形式に変換して使っています。
 でも、これ(=ハイレゾのFLAC)、1曲あたりのファイル容量が大きいんですよね。
 スマホ本体に曲のファイルを入れていくと、すぐに空き容量が圧迫されてしまうので、microSDカードとかを使いたいのです。


 そこで

  ①楽天モバイル回線対応
  ②2枚のSIMカードを切り替えて使える
  ③microSDが使える
  ④安い

 という機種を探していたら「Redmi Note 9S」にたどり着いたということになります。

 Redmi Note 9Sは、4つの条件に加えて、画面の大きさといい、性能といい、使える電波の種類といい、GPSの能力といい、相当に優秀なスマホなんです。結構、気に入ってます。

 デカいバッテリーを搭載しているので、電池の持ちも良いです。
 私はゲームをしないので、うまくすると3日間くらい充電しなくてもよかったりします。

 でも、画面が大きくてバッテリー容量も大きいので、かなり重いです。下手したら軽めのタブレットと同じくらい重い。



インカメラが無いので、前面が全て液晶画面というZenFone 6
買ってはみたものの、既に動態保存機になりつつある不憫な子です。

 ZenFone 6も重いんです。
 そりゃ、画面が大きく、性能も良く、バッテリー容量も大きいので。
 それに、最大の売りである「フリップカメラ」も搭載してますからね。

 比べてみると、

  ZenFone 6:約190グラム
  Redmi Note 9s:209グラム

 となっています。ZenFone 6の方は実測で約200グラムという情報もありますので、まあ、どちらもほぼ約200グラムくらいで同じということになるかと思います。

 200グラムって、結構重いですよ?
 よくコンビニで買って飲んでいる「野菜生活100(←これはカゴメの製品)」とかの200mlのパッケージが約200グラムですから、それをことあるごとに手に持っていじくるとなると、結構な負荷です。


 長い説明をした上で、ここからが本題なのですが、「どちらも同じような重さなら、どっちのスマホを持っていても変わらないでしょ」と、思いますよね?
 ところが、手にした時の「重さ感」「重み」が、かなり異なるんです。

 端から端まで均等に重く感じるのがRedmi Note 9S。
 それに対して、下の方か軽くて、上の方が重く感じるのがZenFone 6です。

 やっぱり、フリップカメラの分だけ、ボディの上部が重いのかな? 頭でっかちな感じがして、気を抜くと、バランスを崩して手から落としそうに感じます。
 ハンドストラップとかを付けることが出来れば安心出来てよいのですが、なかなかそれが出来るケースも見あたりませんしね。


 ということで、絶対的な性能では敵わないはずのRedmi Note 9Sな方が事実上のメイン機種となっていて、ますますZenFone 6は使われなくなっていくというわけです。


 手に取って使うものだと、重さのバランスも大切なんだなと、改めて気づかされました、



 気に入っているRedmi Note 9Sですが、残念ながらカメラが今一つだと思っています。言うほどには、綺麗な写真が手軽には撮れないような気がします。
 薄暗いところで撮影することが多かったりするので、なおさらです。
 「腕が悪い」というのは、最大の原因てすが…。

 今は、少し前までメイン機種として使っていたHUAWEIの「P20 pro(のドコモ版であるHW-01K)」をカメラ担当として使ってます。スマホとしても優秀なのですが、カメラとしてもとても優秀なんですよね。

未使用品を買ったHUAWEIのP20 pro(HW-01K)
長く使っているように思ってますが、実質は1年半くらいです。

 でも、セキュリティーアップデートの提供が殆どなくなり、スマホとしての安心感が減っているので、カメラ担当としてのみの使用になってます。 
 Androidの更新もされないし。キャリアのスマホは、所詮はそんなものなのかもしれませんが。


 結局、普段は

  ①電話専用のガラホ
  ②雑用全般のRedmi Note 9S
  ③カメラ専門のP20 pro(HW-01K)
  ④お財布担当のAQUOS sense 3 Plus
  ⑤試行錯誤中のZenFone 6

 の5台持ちで、場合によっては

  ⑥ブログ更新補助のiPhone8plus

 まで持ち歩くという、恐ろしい状態になったりします。
 ひとまとめにすると「ぐっ」と来る重さになって困ってます。1.2~1.6kgくらいの重さです。


 そこで、②③⑤を1台で兼ねる「次なるスマホ」を探すという「無限ループ」に陥る、のですね。

 買っても、どうせあんまり使わないかもしれないのにね~。

 (続く)


2020年12月22日火曜日

年末年始ですしね


 今年はお仕事でいろんなことがあり、とても疲弊した1年でした。クタクタですわ。

 「まあ、ボーナスも出たし、自分に何か御褒美をあげても良いよね」と思い、これを買いました。


 ええ。ヴァイオレットちゃんのテレビシリーズのBlu-ray一式です。
 先行して第1巻だけは11月に買っていたのですが、この度、残りの2~4巻を買って、めでたく全巻揃ったということに。

 さすがに発売時の店舗特典付きは有りませんでしたが、今でも初回版(?)が買えてよかったなと思います。
 逆に、今でも買えたということは「売れてないのかしら?」という懸念も無くはないのですが…。


 でもね、買ってはみたものの、たぶん、開梱すらしないと思います。
 お話を鑑賞するならば、春に録画したデータが有る訳で、スマホやタブレットでそれを見る方が楽ちんですからね。
 時が来るまでは、「壁の花」というか「棚の彩り」かなあ。
 なによりも、「ちゃんとしたパッケージが、自分の手許に存在する」ということが、大切なのです。


 そういえば、Blu-rayといえば、ユーフォニアムシリーズ5周年ということで、「リズと青い鳥」の台本付き限定版の復刻が出るそうですね。
 ウチには、当時購入したのが4点あるのですが、せっかくの機会だし、ドラマCD・劇場用プログラム(=パンフレット)と合わせてもう少し買っておこうかな…。御褒美・御褒美・御褒美・御褒美……。


 御褒美といえば、以前の「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の妄想記事の中で使ったモノクロの画像達、実はあれもそうでした。
 「画質悪いな」と思われたかもしれませんが、なんとか入手した入場者プレゼントのフィルムを、無理矢理スマホのカメラで撮影して、後処理掛けまくってるからなんです。
 ちっちゃなフィルムをお手軽にスマホで撮影しようとするのが、間違ってるんですよね…。


 ん? こうしてみると、年末年始以外にも自分への御褒美をバンバン投入しているような気がしないでもないですねえ…。(^^;)

 ま、いいじゃないですか。
 扶養家族もいないアラフィフの道楽ということで…。


2020年12月15日火曜日

悪くはなかったけど 「海辺のエトランゼ」


 今年も残り2週間になりました。
 「今年の話は、今年の内に」シリーズ、ということで、「書いてはみたものの、なんとなくタイミングを逃してお蔵入りになっていた記事」を取り上げていきたいと思います。

 今回は、映画をみた感想の中からの記事です。

 なお、鑑賞当日は動揺していたらしく、写真を撮っていませんでした。ということで、今回は写真無しです。味気ない記事ですみません。
 年末休みに入ったら、パンフの写真でも追加するかも。

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【「これではなかった」と思って…】
 絵柄が自分好みだったので…。
 てっきり男女がキャッキャウフフする奴だとばかり思っていたんだけれど、現物はさにあらず。


 うん、BLでした。
 チケット買ってから公式サイトを見て、そのことを知りました。
 「うわー、キャンセルしてぇー」と思ったのですが、決済してしまえば、不可ですからねえ。
 「1800円を無駄にするのもいかがなものか」と思ったので、ちゃんと観に行きましたよ。

 やりくりの都合なんでしょうけれど、かなり大きなシアターでの上映だったので、「お客さんがいっぱい居たら、やだわー」と思っていたのですが、幸い一桁の観客だったようでした。それはそれで、興行的には逆に心配になりますけれど。

 「BLアニメ映画を、おっちゃんが1人で観に来ている」のは、あまり美しくないですからね。見られたくはないです。たとえ知人が現場に居なかったとしてもね。


【印象と、私的な考察と】
 舞台は沖縄、座間味島。
 座間味、いったことないんだよね。
 離島は、専ら石垣島と波照間島専門だったからなあ。
 主人公達の関係性の転換点(?)として、那覇でのエピソードがあるのですが、桜坂劇場とか、沖縄に通っていた時期を思い出して懐かしかったです。


 背景は、抜群に美しかった。
 ただ、個人的には月(月齢)の描写が少し気になりましたが。
 まあ、大抵の作品で相応しくない扱い方されてるからなあ。
 そこさえ直せば、更に説得力も強まり、物語に深みが出るのに。


 ところで、自分、百合は比較的に好きです。
 ライトなコミックは、多少嗜みました。
 小説もなんぼか読みました。
 映画も若干は見ています。

 それを踏まえて、考え込みました。「百合とBLに、いかほどの差があるのだろうか?」、と。
 異性愛ではないという点ではイコールなのです。でも、BLは敬遠したい。そう思うのは、何故なのか。

 詰まるところ、「自分が男で、物語の登場人物たちと同性だから」ということに尽きるのだと思います。
 同性(男性)だから、「そんなのないよ。ありえない!」と思ってしまうのだと。
 わかっているからこそ、あり得ないと考えてしまうのではないか。

 「中身が好き」といえば、カッコ良く聞こえてしまいますが、身体・性別関係なしで「個性」「その人」に惚れたということになるのでしょうか。
 そうなれば、「身体」「性別」は単なる事実でしかなく、それらは簡単に超越されてしまうと。

 それは、わかるのですが…。
 まだまだ、人間力の修行が足らないようです。


 作中、主人公の許婚として「桜子」という美人さんが登場します。BLである訳ですから主人公とは添い遂げられず、悲しく退場することになります。
 あまりにも可憐なので、救済が欲しくなるのですが、なんでも原作シリーズでは、そちらも描かれそうなのですね。うーん、絵柄は抜群に好みだし…。
 うーむ。「心が洗われるBL」かぁ~。(*´Д`*)


【「PG12」ね】
 ところで、この映画「PG12」なんですよ。「12才未満の観賞には、保護者の指導・監督が必要」ってやつ。
 絵柄から見てラブラブ系だと思ったので、「凄い暴力描写や性的な場面でもあるのかしらん? なんでかねえ? それら以外に、よほど酷い何かがあるのかなぁ」と思っていたのですが、うーん、主人公達(男×男)の性行為のシーンがあったんですね。イメージ的なのではなく、割と生々しいやつでした。
 「うん、そりゃ、『PG-12だわ』」と、即、納得しました。


 後の参照等を考えて、映画を観た時は概ねパンフレットを買っています。
 ですが、本作は物販コーナーで店員さんに告げるのが、ちと躊躇われました。



2020年12月14日月曜日

妄想を追加 その4 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」


 妄想を追加する記事、その4。
 これで、ひとまず妄想を綴る記事は最後です。

 いろんなところで、妄想の輪を回しております。
 もしかすると内容がダブってしまっているかもしれませんが、そこは、ばらばらの日記メモからまとめる宿命ということで御寛恕くださいますように。

 ネタバレがあります。
 映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。

 あくまでも、私個人が、「劇場版」と「テレビシリーズ」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。


 今回は雑多な内容なので、まとまりがありません。
 それなのに、最後なので長文です。
 ごめんなさい。

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【今までとは違う】
 少佐に抱き止められて、少し安堵したような表情をする幼いヴァイオレット。
 きっと、これまでとは違う何かを感じたはず。
 純粋に抱きしめてくれた人は、居なかったのかもしれませんね。

 そして、それが、「今」につながるのですね。




【二度目の「はい」】
 ブーゲンビリア家の船の上でのやり取り。
 二度目の「はい」のところで、ヴァイオレットの視線が下を向くんですよね。
 「あれは、なんでかな?」と思っていたのですが、大佐の言葉への同意があるのかなと思うようになりました。

 大佐の「話したいことも」への同意なのでしょう。「最後の話の続きがしたいです」と繋がっている自分自身の「話したい」という思いと、大佐の「話したい」という思いに、同じものを感じ取ったのではないでしょうか。

(これは、一度目の「はい」のところですね)

 だから、一度目の時とは違い、「頷いた」というわけではないのでしょうが、顔が下を向いたのかなと思います。
 表情も、一度目とはきっと異なっていると思います。

 一度目の「はい」は、どちらかというと大佐の悔やみの言葉への対応だから、そこに感情は込められない。相槌としての「はい」かな。



【唇】
 「この次にリュカへの手紙を書こう」と約束した時の発作で、ユリスの容態は決定的になります。
 その後の看護師さんとの立ち話の時にも「あとはいつになるかという、時間の問題だ」と言われたのだと思います。

 その発作以降、ユリスの唇にはカサカサに荒れた様子を示す毛羽が描かれますね。あのあたり、クドい説明はしない代わりに、わかる人にはわかる描写だと思います。



【先生はお元気ですか?】
 ホッジンズ社長をカマキリで驚かせた少年達が、門の所でヴァイオレットとやり取りをする場面。


(まさに、この辺りからの場面です)

 「前足が」~「右の目も」~「先生はお元気ですか?」に続く、涙を浮かべたヴァイオレットの表情。

 ここは、「生きておられた」ということを、心の底から実感するところ。
 ほっとしたとかどうとかではなく、心の底からの「よかった」という想いの現れだと思います。「二度と会えないかもしれない」と思っていた人が生きていてくれたことの、なんとありがたいことか…。

 大喜びするよりも、心にしみる表現だと思います。


 ここでの想いは、灯台の最後のシーンである「私には、もう、それだけで十分です」に繋がると思ってます。



【皆さんの先生なのですか?】
 「皆さんの先生なのですか?」というところは、もしかすると、「先生」という仕事が、ギルベルトに本当に向いているもの(=天職)だと思っているところなのかもしれません。
 かつて自分を教え導いてくれたことと、重ね合わせているのかな、と。

 郵便社を辞めて島へ渡った後、ヴァイオレットは郵便局の業務を受け継ぎ、ギルベルトは引き続き先生を続けたのでしょう。

 町の郵便局の庭木と、学校の門に、元はヴァイオレットの物だったであろうリボンが結ばれているのを見ると、2人のその後に思いが少しだけ及びます。



【歳月と共に】
 デイジーがエカルテ島を訪ねた際の1カット。
 少佐の人力ロープウェイが背景に見えてるんですね。

 撤去された様子は無いので、今でも使われているのでしょうか。
 もう、ヴァイオレット達は世を去っているのでしょうけれど。

 時を経て、風景の中に溶け込んでいるのですね。

 2人にも、時の流れと共に、いろんなその後の物語があったのでしょうね。



【すまなかった……。さようなら…。】
 ヴァイオレットからの手紙を読んだギルベルトへ言葉をかけるディートフリート。
 その回想の中の優しい微笑みが、兄の受け取ったギルベルトの真の姿なのでしょうね。

 嫌な(鼻持ちならない)態度をとっている自分にも、フランクに接した心優しきギルベルトへの謝罪。

 その上で、罪滅ぼしではないんだけれど、これまでギルベルトが甘んじて受けていてくれていたことへの恩返しということなのかな。

 ユリスがシオンに真意を伝えたように、ディートフリートも、真意を伝えて、清算したということなのかな。



【「想いが届いた」ということ】
 浜辺での告白。
 ヴァイオレットを抱きしめたギルベルトの掌から、ギルベルトに宛てたヴァイオレットの最後の手紙が離れ空へと舞い上がっていきます。
 その後、テレビシリーズ第1話で包帯に包まれて書いていたヴァイオレットの最初の手紙も、舞い上がり飛び立ちます。

 月光の下、2通の手紙は1つになって、高く高く舞い続ける。

 未だ、「想い」を、「想いを伝える」ということを知らなかったヴァイオレットが、それでも「少佐に、何か伝えなくては」と一生懸命に書いた「状況報告」。
 そして、「少佐を愛しています」と自分の心を綴った「手紙」。

 その2つが最後に1つになったということは、ヴァイオレットがずっと抱いていたギルベルトへの想いが、形になって、相手に伝わりきったということを表しているのでしょう。



【素直な気持ち・本当の想い】
 素直な気持ちを伝えられないのは、ずっと見てきたデイジーも同じでした。
 ヴァイオレットの生き様を辿って、デイジーにも「想いを伝えること」が届いたのでしょうね。

 「あいしてる」
 たった5文字なのです。
 けれど、その5文字には、相手への様々な想いが込められるのですね。

 慈しみ・愛しさ・喜び・感謝…。

 相手を思う心を込める言葉。
 大切にしたいですね。