もう1回、思考の輪廻を繰り返します。
ばらばらの日記メモからまとめる宿命ということで。
ネタバレがあります。
映画を未見の方は、本記事はお読みにならない方がよいと思います。
あくまでも、私個人が、「劇場版」と「テレビシリーズ」を見て感じたことをまとめたものですので、誤認や知識不足があると思います。御容赦くださいませ。
【嘆きと後悔と】
灯台のシーン。「私のお客様です」と答えた時のヴァイオレットの心の中は、きっと嘆きと後悔とで一杯だったでしょうね。
大粒の涙が絨毯に落ちるシーン、私は好きです。
「美しいな」と思います。
ヴァイオレットの心の中は、
少佐が生きているかもしれないという情報で一杯になって、エカルテ島まで来てしまったけれど、まさかこのタイミングでユリス少年が危篤に成るとは…。
「戻ります」と言ったって、急いでも3日かかることは分かってる。こんな嵐の夜に、この島を出られる手段が無いことも分かってる。でも、行かなければ…。
少佐には会えず、ユリスの死にも間にあわないとあっては、何も得られたものがない。こんなことならば、来なければよかった。
でも…。
というような、葛藤かな。
私の涙腺が緩み、少々「うるっ」と来るのは、ここを含む一連の灯台でのやりとりのシーン。雰囲気(緊迫感)が、感情に訴えてくるのです。
「約束したのです」「会いたいです」の台詞のあたりが、頂点ですね。
あの灯台の回転は、抗えない時の流れを現しているのではないかと思っています。
そうでなければ、重々しいフレネルレンズのアップシーンは必要ないのではないかなって思ってます。
時間の流れといえば、こんな風にも思います。
アイリスとベネディクトが病院へ出掛けたということを伝える電信は、カトレアが打ってくれたのかな。
エカルテ島の灯台で待っているヴァイオレットとホッジンズ組と、ライデンで行動してくれているアイリスとベネディクト組とは、当然リアルタイムでやりとり出来ている訳ではありません。
ライデンチームが病院へ向かって以降は、ユリス少年の決着がつき、2人が郵便社へ戻ってまとめて打電されてくるまでは「何がどうなっているか分からない」のです。エカルテ島チームは、ただただ待つしかなく、長い長い待ち時間だったのでしょう。いつしか、嵐も収まっていましたから。
それだけの時間待っていた分だけ、ヴァイオレットの嘆きも深くなっているのでしょう。「手紙は書けなかった」というホッジンズの言葉を聞いたときの涙は、その現れですよね。
それもこれも踏まえて、「戻ります」という判断になるのでしょう。
【描けるのか? 描かないから意味があるのか?】
「ユリス君は、君が大切な人に会えたことを喜んでいたそうだよ」と告げるホッジンズに対して、ヴァイオレットは首を振り、弱々しく否定します。小さく弱く呟く「会えてはいません」というセリフが聞こえてくるような仕草です。
画面上、ヴァイオレットは後ろ向きで、ふっと、ほんの少しだけ首を動かすのですが、この時、どんな顔をしていたのかな。
きっと、その表情を絵にする事は出来るのでしょうけれど、それはしないというのがこの場面なのでしょうか。
【抗える訳がない】
ヴァイオレットは、究極の無垢なんだと思います。
「何も知らない」状態からなので、悪い意味での「含むところ」がない。「何かと比較して、少佐を選んだ」訳ではなく、「少佐しかないから。少佐が全て」なのです。
そんな状態の美少女と関係性を持ってしまったら、そりゃ、誰だって惚れ込みますよ。勝てません。
最初、どう思って少佐がまだ幼いヴァイオレットを抱きしめたのかはまだ分からないのですが、その後の日々の中で、1人の、とても素敵な女性として好きになり、深く愛するようになったのだろうな。
その上で、ヴァイオレットにとっての自分は、「生きる武器・道具の主人としての自分」なのか、「1人の異性としての自分」なのかで苦しむ。
それがテレビシリーズ第12話の、宿営地での問答なんですよね(=「最後の話の続きがしたいです」の、「最後の話」)。
日々を過ごす中で、武器役と主人という関係性以外の感情を抱いていることを、無垢故にたどたどしく表現するヴァイオレット。それを見て、また、ますます心乱れる少佐。
心乱れ、悩んでいるのは、
「君は私を恨んでいるか?」
「質問の意味がわかりません」
のやり取りの辺りでも描かれていますよね。
要塞でヘッドショットを受けていなかったら、その後の「続きはまた話そう」の内容はどうなっていたのでしょうか? 気になります。
ドールになっていなければ、「『あいしてる』も少しはわかるのです」という境地には、まだ、たどり着けていないのかもしれません。
けれども、戦後の平和な日々の中で、また違う少佐との関係を築いたのではないかな。
そういう「外伝」も、あっても良いのではないかと思いました。
テレビシリーズを追うと、本当に「少佐の言葉が生きる道しるべ」になっているのだなと思います。テレビシリーズを見てみると、最後の手紙の中身がひとしお心に染みます。
【受け入れられない筈がない】
悪い意味での「含むところ」がないという、「究極の無垢」なヴァイオレット。
それは、ドール生活においても遺憾なく力を発揮してますね。
「『知らないから・分からない』から『無器用・無愛想』というだけであって、「素直に真っ直ぐに、依頼者と向き合う」姿勢自体は、受け入れられない筈がありません。
テレビシリーズ第7話を見ると、そう思います。
最初は「?」「なんだこいつ」と思われていても、最後には、逆に依頼者に大きな影響を与える存在になるのも、そういった「無垢な姿勢」があるからなのでしょうね。
もちろん、心の根底にある「少佐へのひたすらな想い」の純粋さがあることも、大切なのですが。
なんだかんだいって、「一途さ」は、心の琴線をかき鳴らすものがありますね。